Zakkaya Weekly No.84

No.83 Ryo Onishi 12/21/97 バックナンバー  Homepage

クリスマスのデコレーションがきれいですね。近所にきれいにデコレーションされている家があり、毎日楽しく観賞させてもらっています。昼間はごく平凡な家なんですが、夜になるとひときわ鮮やかなイルミネーションで豪華な家に見えてしまうんですね。これによく似たことが人間の世界でもありますねー? (R.O)

愛 と 恋 と の 差(1)

先日、私の尊敬する特許弁護士ヘンリー・幸田氏の出版記念パーティが当地のホテルで開かれ、百人を超える彼の友人・知人が集まりました。幸田氏は特許分野では知る人ぞ知る辣腕弁護士であり、特許に関する著作も多く有名な方です。その「特許の幸田」さんが今度共著で出版したのがなんと「恋の英会話」という本でした。尤も読んでみるとその内容は決して不真面目なものではなく、よい意味で実践的に役立つすばらしい本である事が良くわかります。

この出版記念パーティへ行き 当日のプログラムをみたら祝辞を述べる友人の一人に何と私の名前が含まれているではありませんか。突然こんな事を言われたって――こんな大勢の人を前にして何も事前準備をしていないけど どうしよう。――そこで咄嗟に思い付いたのが私の普段の持論でした。私が指名された時、おおよそ次のようなスピーチをしました。

幸田さん、この度はまた楽しくも役に立つご本を出版され、おめでとうございます。特許に関するややこしい事しか頭にないのかと思っていたら、こんな実践的で解りやすいご本もお書きになるとは思ってもいませんでした。改めてその幅の広さと奥行きの深さにただ尊敬の二文字あるのみです。

今回の本の題名を見て私は「なるほど、さすが幸田さん!」と感銘しました。題名が「の英会話」 ではなく、「の英会話」 となっていたからです。「愛」 でも「恋」 でもどちらでもいいではないか、とおっしゃる方もいるかもしれませんが、「愛」 と「恋」では大変な違いがあると私は思っているからです。

では「愛」 と「恋」 はどう違うのか、わたしの勝手な持論を申し上げます。先ず辞書をひいてみます。私の記憶によると、研究社発行の和英大辞典で「愛」とひくと当然ながら先ず“Love”と出てきます。そしてその他色々出てきます。次に「恋」 を調べてみると、“Love”とも書いてありますが、“Tender Passion”という言葉が出てきます。“Passion”とは「情熱」 であり、人間の心の現象・衝動です。「現象」とは、――例えば自然現象を思い浮かべてみてください。日本の富山湾では毎年のように冬になると「蜃気楼」 という現象が現れます。北極近くに行くと「オーロラ」 という不思議な光が時折見られるそうです。これら「蜃気楼」も「オーロラ」も自然現象で一定の条件が満たされた時にのみ現れ、そしてその必要な条件がなくなると終了します。即ち 「現象」 とは「一定の条件が満たされた時に現れ、その条件の終了とともに終息するもの」 と言えます。「恋」 が“Passion”であり従って「現象」であるという事は、「恋」 には必ず始まりがあり、そして終わりがあるという事です。

一方「愛:Love」とは神の愛・親の愛などからも解る通り、時間・空間を超越した「一生一度」のものであり、始まり・終わりという概念とは別次元もものです。

さて、そこで今回のこの本の題名の件ですが、もしこれが「愛の・・」 だったら読者は一生一度だけ読めば良い事になり、そうなると本の値段が高すぎるという事で売れなくなるかも知れません。ところが題名は「恋の・・」となっているのです。 先程から申し上げている通り、恋には必ず「始まり・終わり」がある――という事は 終わりの後には次の「始まり」がある訳です。もし6ヶ月毎に「始まり・終わり」を繰り返している人がいたとすると、その人は年2回、5年で10回もこの本のお世話になるのでその場合 1回あたりの本代は十分の一となります。何とコスト・パフォーマンスの良い本なのでしょう。この本の内容は折紙つきで当然ですが、題名からしてもベストセラー間違い無しと私は確信します。もし売れ残ってしまったら、在庫本は私が残らず買い取ります。(筆者注:調子にのって少々言い過ぎたのでここは「××〔ピー〕」にして下さいネ)

幸田さん、このたびのご出版、本当におめでとうございます。 ――次号へ続く――

河合将介 skawai@wakao.com

健康の方程式 「波動とは感じること、信じること、念じること」 西尾誠一郎

先週に引き続き、雑誌The Funai 32号からもう一つ情報を提供しましょう。それは、この雑誌の最後に紹介されている「意識と波動オープンセミナー」のことです。このセミナーは意識、波動、気など目に見えないエネルギーを科学的、論理的に解明し、医療の実践面を研究しようというためのものです。

9人の会員の発表の中で、終わりのお2つの特別講座の要旨のみ抜き出してみました。一つは日本サイド科学会会長の関英男先生の「瞑想と洗心の効果」から洗心の内容とその効果についてです。先生は洗心を2つに分け(1)いつも持つべき正しい心として次の7つをあげています。@強くA明るくB正しくC我を祈り(Be Humble)Dよろしからぬ欲を捨てE皆なかよく相和してF感謝の生活をなせ。そして(2)心の中からなくすべき感情として@憎しみA不満B妬(ねた)みC疑いD嫉(そね)みE迷いF羨み(うらやみ)G心配心H咎め(とがめ)の心I怒りJいらいらする心K不平Lせかせかする心を記されています。正しい心を持たないと病気は治りにくく、洗心の反対のことをしていると、宇宙の根源から病気が与えられるようです。私は朝、鏡に向かって乾布まさつをしながら笑いかけたり、散歩の途中「雨にも負けず」の詩を唱えている時は洗心の心境ですが、身近な人がせかせかしているのを見ると、つい心の中でとがめてしまいます。いつも心が洗われる状態でいることは難しいことですね。

生命環境工学研究所の中根滋先生の「意識と波動の関係について」の講演も是非聞いてみたいと思いました。

先生は「波動とは感じること、信じること、念じることである。感じるとは、命が溌剌(はつらつ)として生きていることを体全体で感じること。信じることは自分の命を信じること。念じることは自分の命のエネルギーを高め、放散することである。」と語られたそうです。

私は20年前教師を辞めたとき、そしてそれから5年間幼児教育にたずさわり、そして15年前アメリカに来たとき、はつらつとした生き方を求めてそうしたのです。そして今年病気になったのも、体が私に「命がはつらつとしているか、生きていることを体全体で感じているか」という警告だったのです。

私は5年前、糖尿病と心臓発作であっけなく親友を失いました。それから健康に生きるには自然治癒力を高める自らの日々の努力が一番大切だということが分かってきました。真剣に勉強したからです。そして今度の病気が学んだことの中から何をどう優先順位をつけ実行するのかを私に教えてくれました。ですから自分の生命を信じるということの大切さも少しわかる気がします。

念じる側面は私の弱点の一つでした。私は今まで自分の病気を治すことを第一にし、そしてその経過、経験を健康の方程式のような形式で伝えればいいと思っていました。私の記事を読んで一人でもいい、何か気づいてくれればそれでいい。気づきを押し付けてはいけないと思っていました。でもそれはあまりにも自己中心的な生き方だと気づきました。この世には病気の人も、病気になりそうな予備軍もいっぱいいます。今健康な人も、将来どうなるかわかりません。ですから日々の生活の中で、気がつかないうちに心と身体が癒されていく場を作り、そしてその場にいる方に少しずつそのことを伝えていきたいと決めました。それこそが自分の命のエネルギーを高め、放散することだと思うのです。

編集後記

今年もあっという間に年末になりまして、気がついたらもうクリスマスですね。去年もこんなこと言っていたような気がします。読者のみなさんはクリスマスホリデーはどんな計画を立てられているんでしょうか?私たちはわけあって、24日から日本へ行くことになりました。(12/24〜1/2) 去年とよく似た状況になりました。ノートPCを持って行き日本から85号を発行したいと思っています。それから年末と年始のあいさつも。

 

Zakkaya Weekly No.84

雑貨屋店主 大西良衛 ronishi@earthlink.net