Zakkaya Weekly No.405
Ryo Onishi 2/15/2004
雑貨屋のひとり言 さくらの独り言 川 柳 & コント バックナンバー 成岡流お酒の楽しみ方 河合さんの・・・ 森田さんの・・・ 健康のお話 雑貨屋ホーム D社で商品を買いました。それを組み立てていたら、ある部品が壊れてしまいました。困ったなーと思いながら、インターネットで調べたらクレームや問い合わせを受け付けていたので、インターネットで詳細を連絡しました。するとしばらくして電話があり、その日のうちにパーツを持ってきてくれました。気分のいい対応にうれしくなりました。(R.O.)
絶滅危惧の日本 先の1月5日付けのAsahi.comに、日常生活でほとんど使われなくなった言葉を集めた「懐かしい日本の言葉」(宣伝会議刊)の紹介記事が掲載されていました。その中に載っている「絶滅のおそれがある日本語」とされる言葉がいくつか並んでいました。
先日、私達の月例勉強会「JACAL」で私が出席メンバーにこの記事を配布し、意見交換をしましたので、その結果をご報告します。
勉強会出席者は13名(男8名、女5名)、年齢は60歳台男性から中年主婦、若手大学院生など多彩で、全員日本人です。
『絶滅危惧の日本語』の記事に掲載されていた言葉と、その言葉に対する皆さんの反応は次の通りでした。(但し、以下の判定は多分に私の主観的判断です)
(1)ほんの数人を除いて、殆どの人が聞いたこともなく、意味を理解できなかった言葉。
*「粉をかける」、「お膝(ひざ)送り」、「乳母(おんば)日傘」、「引かれ者の小唄」
(2)ほんの数人を除いて、聞いたことはあるが、意味を理解できなかった言葉。
*「空茶(からちゃ)」、「へちゃむくれ」
(3)殆どの人は聞いたことがあるし、意味も何となく理解できた言葉。
*「ちちんぷいぷい」、「お平らに」、「おためごかし」、「たおやか」、「惻隠(そくいん)の情」、「そこはかとなく」、「ちょこざいな」、「唐変木」、「磯のアワビの片思い」、「来たか長さん待ってたホイ」、「舟をこぐ」、「かまとと」
(4)ほぼ全員が聞いたことがあり、意味も的確に知っていた言葉。
*「お天道様に申し訳ない」、「夜なべ」、「人聞きが悪い」、「お足もとの悪いところ」、「がってん承知の助」、「うちの宿六」、「べっぴん」、「おきゃん」、「夜もすがら」、「日和見」、「おたんこなす」、「感謝感激雨あられ」、「川の字に寝る」
なお、参考までに、私の手許にある広辞苑(第2版、岩波書店)による、これらの言葉の意味は次の通りでした。
1. ちちんぷいぷい:小児が体を痛くしたとき、なでさすって、すかしなだめるためにいう語。
2.へちむくれ:ひとをののしっていう語。へしむくれ。
3.空茶(からちゃ):茶菓子なしに茶ばかり飲むこと。
4.夜なべ:(夜、鍋をかけ夜食をとりながら仕事をすることによるという)夜の仕事。よしごと。 よなべしごと。夜業。
5.人聞き:人に聞かれること。世のうわさ。外聞。「ひとぎきはづかしく覚え給うなりけり(竹取物語)」
6.お膝送り:空席をつくるため、すわったまま膝で順々に身を送り移すこと。ひざくり。
7.おためごかし:【御為倒】表面は他人のためになるように言いなして、実は自分の利益をはかること。しらごかし。おためずく【御為尽】に同じ。
8.宿六:宿の主人、即ち亭主を親しみ、また卑しめていう語。
9.べっぴん:とりわけ美しい女。美人。
10.おきゃん:【御侠】(キャンは唐音。「侠」を女の名のように用いたもの)男っぽい女。はすはな女。おてんば。
11.乳母日傘(おんばひからかさ):乳母に抱かれ日傘をさしかけられなどして大事に育てられること。おんばひがさ。
12.夜もすがら:【終夜】日暮れから夜明けまで。一晩中。夜どおし。よすがら。( ⇔ ひもすがら)
13.そこはかと:(そこはこうであるというようにの意から)たしかに。はっきりと。
14.そこはかとなし:ただわけもない。どこということもない。「風涼しくてそこはかとなき虫の声々聞こえ(源氏物語)」
15.たおやか:(1)しなやかなさま。「萩、いと色ふかう、枝、たおやかに咲きたるが(枕草紙)」(2)あらあらしくないこと。しとやか。「この方のたおやかならましかばと見ゆかし(源氏物語)」
16.惻隠(そくいん):いたわしく思うこと。あわれみ。
17.日和見:(1)天気模様をみること。(2)事の成行きをうかがっていて去就を決しないこと。
18.おたんこなす:広辞苑(第2版)に掲載なし。(おたんちん:人をののしる語。間抜け。)
19.ちょこざい:【樗才】(「樗」は一種の悪木)役に立たぬ才能。自分の謙称。
20.唐変木:気のきかぬ人物、へんくつな人物などを罵り嘲る語。わからずや。まぬけ。
21.引かれ者:捕えられ引かれて行くもの。江戸時代、引回しの刑に処せられたもの。
22.引かれ者の小唄:引かれ者がすてばちになってわざと平気をよそおい小唄を歌うこと。転じて、負惜しみで強がりを言うことのたとえ。
23.かまとと:【蒲魚】(蒲鉾を「これは魚(とと)か」ときくことからいう)わかっているくせにわからないふりをすること。なにも知らないような顔をして上品ぶり、またおぼこらしくふるまうこと。また、その人。
河合将介(skawai@earthlink.net )
さくらの独り言「浮き沈み」
毎朝コーヒーを飲みながら最初に目を通す新聞のその第一面は、有名企業の業績を取り扱い、その好不調を数分にして読ませてくれる。最近は、買収合併の記事が毎日の様に紙面を飾る。過去に市場を制覇した大蛇の生殺しか虐殺、もしくは抜け殻を残した脱皮の様を連想する。栄華を極めた人も時代も、または苦い汁を吸った人も時代も、河の泡に等しく、浮き沈みするものなのだ。今、ガラス器の中で浮き沈みのダンスをする中国茶を眺めながらこれを書いている。何事も、浮いたり沈んだりの繰返しなのだろうと思いながら。
米国中西部で競業他社との激戦下に置かれた頃、勝負結果に必死だった。どんな小さな情報にも、一喜一憂した。中西部におけるベストプラクティスを目指した私たちチームの敵陣への斬りこみは、3年間で10年分相当の業績成果を達成した。しかし中には、「してヤラレタ!」と地団駄を踏み、悔し泣きしたこともある。その敗北要因は、決して戦略ミスやチームの力量によるものだけでなく、両社(競業他社と弊社)の会社方針や文化の大きな違いが背景にあった。両社はNo.1を目指したライバルだった。しかし、その敗北から5年後、弊社はその会社を買収し、敵同士が同胞となり、更なる強敵を押しのけてNo.1へ浮上する巨大組織となった。ここにも、何がしの浮き沈みがあり、今がある。
ところで、ロックの焼酎片手に雑貨屋の原稿を書いた時代がある。それは金曜日の夜であった。近頃は、土曜もしくは日曜日の昼間が執筆時となり、片手には焼酎に代わる中国茶がある。中国茶を耐熱ガラスのポットに入れ、95度のお湯を注ぐ。95度といっても別に温度計で測る訳ではなく、吹く蒸気の勢いと沸く湯の音の変化でその頃合いを掴む。注がれたお湯の対流にそって、茶の葉が激しいジャンピングを始める。これは、湯中の適量の空気が茶葉に付着し浮力となるためだ。温度が低いと空気の含有量が多いため茶葉は浮いてしまい沈まない。また逆に沸かし過ぎると空気の含有量が少ないため、茶葉は浮力がなく底に沈んだままになる。ジャンピングの度合いが中国茶の命であり、「香り」を決めるとも言われている。茶葉が、お湯の水圧(圧力)、温度(熱力)、そして湿度(空気含有)によってジャンピングする様を観て楽しむのも、100種類を超える中国茶を味わうコツである。
茶葉の話はさておき、松葉がとれた二本足による歩行は、なかなかしんどい。普段大股で早歩きだった私が、小股で足を引きずりながら歩く。階段の上り下りも身体の屈伸も、とにかく動くことそのものが不自由な思いをするので、気分も自由さを失してしまう。オフィスビルを出て歩道を歩く時、松葉杖の頃より遅い歩行スピードの私を人がグングン抜いていく。足を引きずる歩行で左右に揺れる体、不安な心も揺れる。「このまま治らいかもしれない」と焦燥に駆られる。自由を失する心は仕事でも弱気になる。そして、自分がワープして年寄りになってしまった気分にさえ陥るものだ。いやはや、酸素が足りず沈んでいる茶葉の如しである。そんなこんなの小さな出来事で、心の浮き沈みを繰返している毎日だ。総ガラス張りビルのオフィスの中で浮き沈みをする私は、まるでジャンピングする茶葉のようだと、雲の上の神様を楽しませているのかもしれない。浮上には、浮力となる適度な空気が必要だ。来週の原稿は茶葉ではなく氷の浮き沈みを楽しみながら書けたらいいなぁ・・・っと呟く、さくらの独り言。
(kukimi@ff.iij4u.or.jp)
川 柳 & コント(東京・成近)
( 川 柳 )
新世紀イロハカルタが住みにくい
昭和史の戯画年輪に透けて見え
文明の積み木マグマに見透かされ
クローンに挑む神への果たし状
善人の寝言 地球は青かった
( ニュースやぶにらみ )
「年金資金のずさん運用」
垂れ流しではたまらない −将来の年金
「就職内定率68%」
高校は避けました - 春一番
「北鮮の言い分」
拉致をしておいて、不埒とはなんだ −日本国民
(東京・成近) E-mail nakawai@adachi.ne.jp
http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm
友、遠方より
「奥さん、また、ドライブ旅行をしませんか。あの時は楽しかったですなぁ」
二月のある朝、夫の友人だった木村氏から電話がきた。
あの時とは、六年前のことである。あの時も突然「遊びに行くさかいな」と、電話をかけてきた。まさかのリストラだった。知らん顔して勤めたらどないやねんと、無責任なことをいう夫に、木村氏はこういった。
「あかんねん。ワシはカッとなるタチやさかい。辞めるねん。子供は大きいし、住宅ローンもあらへんさかいな、ちょっとの間、のんびりしょう思うとんねん」
「そらきてもエエけど、ひとりはあかんで、奥さんを連れてこんと。アメリカは夫婦文化の国やさかい」
と言うわけで、夫は九泊十日の二組夫婦レンタカーの旅を計画した。ラスベガス、デスバレー、なぜか木村氏はベーカスフィールドへは絶対に行きたいといった。ヨセミテ、サンフランシスコ、西海岸線を通ってロサンゼルスへ戻る。経費は割勘である。
木村夫妻がやってきた。奥さんのミエコさんが「ふたりだけで旅行するのはハネムーン以来やなぁ、アンタ」と、何度もいう。うれしそうだった。
ラスベガスで私とミエコさんは五センのスロット・マシンで二十ドルだけ遊んだ。夫と木村氏は傍で見ているだけで、ギャンブルはしない。
「しもた! ワシもギャンブルすりゃよかった」と、木村氏が悔やんだ時は、すでにラスベガスを出発して不毛の大地デスバレーのど真ん中を走っていた。やがて車はカリフォルニヤの穀倉地帯ベーカスフィールドへ入った。車窓にブドウ畑が流れる。
すると、木村氏が「三十五年ぶりや、懐かしいなぁ」と、呟いた。
「よーいドンで一斉にブドウの蔓を上げていくんや。一日に二列しかでけんねん、行って帰ったら終わりや。広いさかいな。ほんまにしんどかったデ。ブドウ摘みもやったがな。仕事が終わりキャンプに戻り冷蔵庫のブドウを食うのが愉しみやった。たまにメロン売りがくるんや、これが安うて、うまいんや。ここで三ヶ月間キャンプ生活してましたんや」
そして、木村氏は遠くを探すような面持ちで話しつづけた。
日系人専用の農場労働者用カマボコ型キャンプにはベッドが両側にずらっと並んでいて、便所には囲いがない。最初は大きいのが出なくて困った。夜中に「日本へ帰りたーい」と、泣き叫ぶ人や、枕元のラジオにかじりついて日本のニュースを聴いている人。彼らは、お金が入るとラスベガスへ行って使い果たしてくる。そして、季節労働者として渡り歩く。
木村氏がバークレーで留学生活を送っていたのは一九六〇年代の中ごろ、カリフォルニヤの都市化がすさまじい勢いで進んでいる時代であった。日本人移民一世の最後の季節労働者『ブランケットマン』と呼ばれる人たちを目撃し、彼らと生活したことになる。
木村氏の話を聞いて、夫は驚いた。
「おやじさんからの仕送りで優雅な留学生活をしたとばっかり思うとったんや」
「留学生仲間には脳外科医や東大出というのもいたが、みんな皿洗いや新聞配達、ガーディナーのヘルパーなどをしてましたんや。農作業をしたのはワシだけですわ」
私が理由を尋ねると、文豪ジョン・スタインベックの『怒りの葡萄』の舞台になったところで、ブドウ摘みをやってみようと決めていたという。
こんなこともあったそうである。
サンフランシスコの北の街バレホVallejoを歩いていると、街の雰囲気が故郷の明石市に似ていた。木村氏はバレホ市長に会い明石市と姉妹都市の話をもちかけ、当時、明石市長をしていた父親に問い合わせて、めであく姉妹都市となった。
三年間の留学を終えて木村氏は帰国の途についた。
「うちのひとはな、いまでも留学していたころの話を昨日の出来事のように娘たちにしますねん。『ほら、またはじまった』といって、娘たちは聞かしませんけど。でも、私はここにきてはじめて主人の気持ちが分るなような気がします」
ミエコさんの瞳に、やさしさが一段と増した。
あれから、もう六年も過ぎてしまった。
森田のりえ(moritacn@earthlink.net)ベランダの鳩対策をしてから、鳩が本当に来なくなりました。鳩はどこへいったんでしょうか。
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Zakkaya Weekly No.405
雑貨屋 店主 大西良衛 zakkaya@news.email.ne.jp