Zakkaya Weekly No.201 Ryo Onishi 3/23/2000
雑貨屋のひとり言
200号をゆっくり読み返しました。みなさまの暖かいお言葉は涙が出るほど(本当に涙を流して読みました)うれしかったです。懐かしい名前もありました。紹介できなかった方もいるかもしれません。(もしそうだったらごめんなさい。メール下さいね。)どんなに遠くに離れていても、雑貨屋で情報を共有できているとおもうと楽しいですね。
日本はずいぶん暖かくなってきました。陽もながくなってきました。先週の土曜日、お墓参りに行った時、うぐいすの声を聞きました。もう春がそこまで来ているんですね。もうすぐ待望の桜が見れると思うとワクワクします。なにしろ私にとって17年ぶりですからね〜。(R.O.)
夜空を覆う不気味なB-29の編隊と、それらから撒き散らされる無数の焼夷弾の束、母と姉(次女)の手に必死にしがみつき、燃えさかる炎と舞い散る火の粉の中を夢中で逃げまどった防空頭巾(ぼうくうずきん)の幼ない私、―― いまだに夢の中で何度もうなされる、55年前の恐怖の体験です。
東京の下町、向島区吾嬬町(現在は墨田区押上)に生まれた私が国民学校(現在の小学校)1年生終了間際の昭和20年(1945年)3月9日の夜から翌10日にかけてのことでした。
九死どころか九百死に一生を得て我が家に戻る途中、川や掘割りには炎を避けて溺死している無数の死体を目撃し、また路上に横たわる黒こげの人々をひたすら跨ぎながら我が家の焼け跡に母・姉と3人で戻った時、そこに防空団の父と兄(次男)、姉(長女)も待っていてくれ、一家の無事を確認し合い、不幸中の幸いを喜び合いました。(長男である兄は戦地、すぐ上の兄は学童疎開中)
でも数日後、学校の焼け跡に集合した私は、つい数日前まで一緒に勉強し、遊んだ同級生の半数以上がこの空襲で死んでしまった事を知らされたのでした。でもその時の自分の感情がどうであったか今となっては思い出せません。もしかしたら当時の私には“悲しい”などという感傷は麻痺してしまっていたのかも知れません。覚えているのは、この戦災の数日後、焼け野原の東京・下町から富士山が見えたことです。これが生まれてはじめて見た富士山でした。
住むところも学ぶところもなくした下町の一家は両親の故郷である滋賀県に一時身を寄せ、
10ヶ月後の12月に再び東京に戻り、焼け残った家を借りて東京生活を再開させました。
食べるものなどあるはずがなく、親の苦労は大変だったと思います。乾燥した笹の葉や団栗(どんぐり)まで食べた記憶があります。当時、私達の救いは“ララ物資”等と呼ばれるアメリカからの救援物資で、この時ばかりはバケツ程もある大きなコンビーフやチョコレートの缶詰が配給され、飢えをしのぎました。また時々ジープに乗った G I(米兵)がばら撒いてくれるチュウインガムやチョコレートに私達ガキ共(まさに飢えた餓鬼でした)が群がったものでした。
戦後の小学校時代は、焼け残った他所の学校の教室を借りて学び、子供心にも肩身の狭い思いで、2部授業(一日を午前組、午後組に分けた授業)3部授業を受けたのが思い出の大半を占めています。
もちろん、あたり一面が広大な焼け野原なので遊ぶ場所には困らず、それはそれで楽しい事もありました。 更にその後の東京の復興は目覚しく私達の生活も向上しました。
幼い頃に遭遇した苦い思い出は思い出として、それでも東京は私の生まれ育ったところであれば懐かしく、愛着を感じ、他人に東京を非難されるとムキになって東京の弁護をしてしまうのは、やはり故郷意識と言うものなのでしょうか。
時代は変り、あれから55年後の今、私は当時、焼夷弾を浴びせられた、そして生き残った後は救援物資で助けてもらった相手国アメリカに滞在し、生活をしいています。そして近くの航空博物館であのB-29 の展示を見てきたり、 ―― 改めて想うとき、何とも表現しがたい感慨と運命の不思議を感じざるを得ません。
表面平和な当地ロサンゼルスにも戦争の記憶を残す場所が沢山あります。ロングビーチのクイーン・メリー号も軍用輸送船として使われた記録が今も船内に残されていますし、“LA Maritime Museum”やサンペドロの“SS Lane Victory Museum”には日本の降伏文書(戦艦ミズーリ上で署名されたもの)のコピーを見る事が出来、Palos Verdes半島先端の“Fort MacArthur Museum”では出征日本兵士が身につけていた国旗日の丸、日本軍からの戦利品などもいまだに展示されています。
私は日本から当地を訪れる友人・知人には出きるだけこのようなスポットを案内し、日本とアメリカの間には、こんな時期もあったのだという事も知ってもらい、平和の大切さを感じてもらうようにしています。
本来ならば、55年前に死んでいてもおかしくない私としては、あの時犠牲になった級友たちの分まで生き、せめてアメリカから日本へ有用な情報を発信したいと思っています。
skawai@earthlink.net )河合将介(
出来なかった事やさせてもらえなかった事を「オトナになったら〜」と、願った幼い頃。しかしいざオトナになってみると「な〜んだこんなことか?!」と思うことも多い。そんなのは未だいい方で、「大きくなったら〜」と望んだ事さえス〜カリ忘れてしまう時もある。あなたは幼い頃「大きくなったら〜」と、ある時は悔しく、ある時は期待をもった複雑な気持ちで願った事はないだろうか。
数多い私の「オトナになったら〜」の中に、とっ〜ても簡単な事があった。それは「パジャウロ=病気でもないのにパジャマ姿で、お部屋の中をウロウロする」という事だ。自然に身体自身が目を覚ました幸福な朝に、台所へ行ってコーヒーをセットし、新聞を取る為に開けた玄関から入ってくる外気にその日を感じ、新聞の束をドサッとソファーに置く。そしてソファーに座り入れたてのコーヒーをすすりながら、新聞に目を通す。パジャマと身体の自然な隙間とその一体感が心地よく、その感触は雑然とした一週間を過去のものとしてくれる。
「そんなの俺(私)だってやってるよ、"朝のパジャマ"」と言わないでよ、読者さん。
ダラシない私は、仕事から帰宅するとまず「パジャマ」に着替え、寝る前にまた「洗い立てのパジャマ」を着る。そしてたまに迎える休日、その日一日ずーっとパジャマで過ごすのだよ、ダラダラと。本を読んだり、音楽を聴いたり、掃除や洗濯をしたり、料理や食事も、そのまんま!、さんまだって焼いちゃう。ナント!、一日中家の中ではパジャマで過ごすのだ。そして究めつけは、洗いたてのパジャマに着替えて寝る。
これがまた幸せ。怠慢の私を象徴する"ここだけの秘密その2"である。私は沢山のパジャマを持っていて、活動用とお眠り用に専用化されている。ヒラヒラしたお色気ネグリジェなんて縁がない。私がそんなものを着たりすると足が絡まって、起きた途端にたちまちベッドの角で頭を打ってしまう。
先日、日本に住む母や姉と過ごして困った事の一つに、これがあった。朝起きてパジャマで行ける処はトイレか洗面所しかないという事実、忘れてしまったその良き習慣と美しき躾けである。これも親孝行の一つと思いながら、起きたら直ぐに室内着もしくはその日の服に着替え、一枚のパジャマを就寝のみ着用した。「パジャウロ愛好会」でも作れる自分は、本当に怠慢でダラシナイ者だと自覚しつつもこれを改められず、こうして原稿を叩いている、パジャウロさくらの独り言。
( 川 柳 )
登山靴千恵子の空と風に逢い
恥多い過去が役立つ私小説
擦りきれた絣で綴る放浪記
日曜のソファー司馬遼読んでいる
脳内革命読んで凡夫のままでいる
( コ ン ト )
「景気回復軌道」
脱線が心配だなぁ ―営団地下鉄
「賃上げ3年連続で最低」
上がってれば上等です ―内閣支持率
「台湾総統に野党・陳氏」
二つの台湾が心配だ ―日米
(東京・成近) E-mail
kawaiai@mx2.ttcn.ne.jp−コジツケかな?−
今回は、健康のお話しとは余り関係ないとは思いますが、チョット面白いお話しなので、ご紹介。
皆さんは呼吸や脈拍が一分間に平均何回行われているかご存知ですかー?
ちょっとお話しが外れますが、海の真ん中にどんなに大きな船を浮かべてもユラ〜リ
ユラ〜リと浮き沈みしますねぇ。
これは『波浪』といって、宇宙の波が大きく動いて海の水を圧迫し、海の小さな浮き沈みが、やがて海の波となって浜辺に打ち寄せる事になります。
その『波浪』である海の最初の浮き沈みが一分間に18回なんだそうですが、これはなんと、我々人間の、肺が正常な状態の一分間の呼吸回数なんですってーっ。
『波浪』が一分間に18回動くので、それを受けて肺が動き、人間の呼吸もそれにあわせて18回となっているそうで、外気の『波浪』18回が[陽]、すなわち電気のプラスとすると、内気の肺呼吸18回が[陰]すなわちマイナスとなり、プラスとマイナスとの結びつきによって発する熱エネルギーが、18プラス18イコール36。
っという事は、正常な状態の体温と合っちゃうって事になーる。
それでもって、この36のエネルギーが心臓を刺激して倍となって心臓が働らき、結局、私たちの正常な脈拍は72ですよーっという結論となるわけです。
結局は私たちはちゃーんと宇宙の法則にもとづいて生きているのですネェー。
宇宙の法則ってあなた、ちょっと話しが大袈裟ではないの−?
変な新興宗教?と思われるかもしれませんが、太陽がなければ大変な事になっちゃうのは皆さん常識としているんですから、大袈裟な事ではありませんよねー。
そういえば宇宙旅行はいつ頃から一般人も出来るようになるのでしょうかねぇー。
2001年宇宙の旅なんて、来年の話しですもんねぇ。
宇宙食ってどんなものなんですかねぇ..そのうちオーガニック宇宙食なんて時代がくるかも..。
そんな時が来るまで、皆さん頑張って健康で生きていましょう!
そのためにも、このコーナーがネタ切れで消滅してしまわないように蒔田にメールをしてあげましょう!!
野澤 興一
今日は、関西に住んだ方は、「くぎに」と言えば直ぐにお分かり頂けるとおもいます。数日まえから、市場や、スーパの魚売り場に「いかなご」が出始めました。これから4月にかけて「いかなご」の旬の季節になり、将に春の到来を告げる魚です。
この「いかなご」と言う小魚は5−10cm程の長さ、5mm程の胴体の細長い形をしていて、銀色にきらきらと輝く、美しい魚です。明石沖の瀬戸内海で採れたのが、大きな笊に何千匹も入れられて、市場で売られています。
この季節になると、各家庭では笊一杯程も買い求めて、「いかなご」から「くぎに」の佃煮が作られます。「いかなご」の頭の部分が釘の頭に似ていて、全体の姿が釘そっくりからの命名です。各家庭毎の味を奥様方が心の中で競い合いますが、伝統の味を土地の人々は楽しんでいます。私も神戸に来て会社の人達から我が家の「くぎに」の味をご馳走になっています。勿論、デパート、売店等でも特産物として売りに出されます。
「くぎに」は醤油、砂糖、生姜、酒等を調合して、鍋のなかでゆっくりと味付けされて、美味しく作られます。
お酒のつまみには最高です。暖かいご飯と食べると、お代わりを何杯もしたくなります。この季節に纏めて買って、冷凍庫に容れておくと一年中味覚を楽しめます。
そろそろ春も近づいたようですね。
目 昭子(さっか あきこ)
1「お珍しい名前ですね。」 2「どちらのご出身ですか?」 3「その地方には多いのですか?」名乗った時ほぼ間違いなく返ってくる相手の反応である。夫と私の郷里(山口県小野田市、宇部市)では多分誰もが知っている姓のはずである。私の同級生にも複数いたが、彼らは夫とは親戚でもなんでもない。同じ「さっか」でも「目」「属」「作花」があり、当時「属」は身近にはいなかったが、子供だったせいか「目」も人の名前の一つとして素直に受け入れ、特に変わっているとは感じなかった。その頃はまだ私自身が「目」姓になるとは想像だにしなかったのだが。
結婚後、数ヶ所転居を繰り返してきた。新しい出会いがあるたびにまず名前の説明をしなければならない。ある時夫にもう名前の説明をするのがイヤになってきたと愚痴をこぼしたところ、夫は18歳で実家を離れて以来その作業を数十年続けており、その説明回数ときたら私の比ではないとの返事、ごもっともです、とそれ以降は宿命と諦めた。
この名字で一番困るのは電話での説明。「目、鼻、口の目です。」「目玉の目です。」誰がそんな名を信じようか。それまで事務的に対応していた人でも「ヒェー、そんな名前あるんですか?」ってな具合。電話といえば郷里でレストランの予約の際、「さっかです。」と言ったら「目のさっかさんですか?属のさっかさんですか?」と向こうから聞いてくれた。こんなことは初めてで非常に感動したのを覚えている。その点英語の場合はアルファベットを並べるだけでいいので随分楽である。相手には「Sakkaが目玉の目で珍しい名字」なんて分かりはしないのだ。蛇足だが私の旧姓は「真宅(しんたく)」という。新宅さんは多い様だが、こちらはどうやら今のところ我が一族だけのようだ。
名前の説明で「またか」と思いつつも、そこから話が弾むというのはありがたい。新しく出会った人達との最初の話題を提供してくれる。ということは「目」に感謝ということか。 目 昭子(さっか あきこ)
「コント、読み違い??」
(その35) 珍 名 さ ん
日本人の名前(苗字)には時々珍しい読み方をするものがありますが、その中でも「謎かけ型」というべきものがあります。
以下、この種の苗字をいくつかインターネットを通して拾い集めましたのでご紹介いたします。(これはすべて実際にある苗字だそうです)
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(1)鴨足さん:“いちょう”さんと読む。鴨の足の形がいちょうの葉っぱに似てるから。
(2)イさん:“かなはじめ”さんと読む。“イ”は仮名のはじめだから。
(3)雲母さん:“きらら”さんと読む。
(4)属さん:“さっか”さんと読む。律令制の時代に「属(さかん)」という官位があり、その職名を受け継いでいる名前といわれる。公文書の授受や作成を担当する職務だったようだ。
(5)目さん:同じく“さっか”さんと読む。こちらは実際に私達の近くにいらっしゃる方で、私がご本人から直接聞いたところによると、前記『属(さっか)』さんと同様、律令制の時代の「属(さかん)」という官位から由来したようで、公文書の授受や作成・チェックを担当する職務で“目”を使う仕事なのでこの字をあてたらしいということでした。
(6)栗花落さん:“しもいり”さんと読む。栗の花が落ちると霜入りの季節。だから“しもいり”とのこと。
(7)小鳥遊さん:“たかなし”さんと読む。鷹がいないから小鳥が遊べる。だから“たかなし”とのこと。
(8)一さん:“にのまえ”さんと読む。“一”は“二”の前だから。
(9)八月一日さん:“ほずみ”さんと読む。8月の時期に稲穂を摘むからとのこと。
(10)月見里さん:“やまなし”読む。山がないから月見ができるから。
(11)四月一日さん:“わたぬき”さんと読む。四月一日は冬の重い布団から綿を抜く日だから。
(12)日日さん:“ぬかつか”さんと読む。七日(なぬか)の“ぬか”と廿日(はつか)の“つか”だからとか。
―― 羅府の庄助さん ――
今週号も発行がちょっと遅くなってしまいました。私の都合で、発行が遅れ、201号との間隔が短いにもかかわらず原稿を送ってくださった河合さん、さくらさん、蒔田さん、成近さん、ありがとうございます。
雑貨屋のバックナンバーは下記でご覧いただけますのでどうぞ。
http://home.earthlink.net/~ronishi/zwback.htmZakkaya Weekly No.201
雑貨屋 店主 大西良衛
zakkaya@news.email.ne.jp