Zakkaya Weekly No.195

Ryo Onishi       2/7/2000  バックナンバー HOME

運転免許の書き換えをしてきました。もうずいぶん前(17年前日本を出たとき)に日本の免許は切れていたのですが、その当時の免許証とカリフォルニア州の免許とパスポートを見せて無事、日本の免許を発行してもらいました。運転免許試験場では厚底ブーツを履いた若い女性を結構見かけました。あれでどうやって車を運転するのかなあと思っていたんですが、原付の筆記試験を受けに来ていたんですね。でも彼女たち、原付バイクを厚底ブーツで運転するんでしょうか?

早速、購入したばかりの車(中古車です)を運転してみましたが、ウィンカーとワイパーをよく間違えます。17年前にロスではじめて運転したときも同じでした。日本の道路は狭く、たくさんの路上駐車、バイクや自転車、ガードレール、電信柱、おまけに左側通行、右ハンドルなので運転に神経を使います。サウスベイでおおらかに運転できていたことを懐かしく思います。(R.O.)

ラジオ・パシフィック・ジャパン(その1)

 当地、ロサンゼルスを中心に南カリフォルニア広域をカバーする日本語ラジオ放送に「ラジオ・パシフィック・ジャパン(RPJ)」という局があります。先日、この RPJ から出演依頼を受け、私が前から趣味で調べている「US ルート66」について対談形式による話をしてきました。

 この話題について、これから数回出演する予定ですが、以下は今回(第1回目)の対談の内容を録音テープから再現してみました。(対談相手はこのコーナーを担当する東 繁春さん、Junkoさんです)【1月30日放送分】

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(東):今日のゲストは河合将介さんをスタジオにお迎えしております。

(東、J):おはようございます。

(河):おはようございます。

(東):河合さんはですねえ、「ルート66」という道路を、なんと言うのでしょうか、研究していらっしゃる、又は走っていらっしゃる、という人なんですけれども、その「ルート66」というのを先ず説明していただけますか。

(河):はい、わかりました。ルート66というのはですね、現在皆さんフリーウエイというのを利用されていると思いますが、その一つ前の世代の道路でして、イリノイ州のシカゴからロサンゼルス、厳密にはサンタモニカまでなんですけれども、これの約2,400マイル、キロにしますと約4,000キロですね、8つの州をまたいだ「インターステイト・ハイウエイ」と・・、例えばこの辺で言えば「パシフィック・コースト・ハイウエイ」みたいなもんで、現在のフリーウエイとは違うんです。1950年代、60年代にアメリカの主要な道路として活躍をしたと・・、まあ、そういうところです。

(J ):今はないんですか?

(河):今はですねえ、実は既に主なところはフリーウエイに置き代えられておりますものですから、1985年にアメリカの公式の地図からも抹消されているのです。したがいまして、ルート66というのはですね、今はなくて、嘗てそういう栄光の道路があったと、そういうことです。

(東):あのー、テレビ番組がありましたよね。「ルート66」という・・、Junkoさんが生まれる前だと思うんですけれど・・。

(河):そうです。テレビは1960年ですね。だいぶ古いですけれども。40年も前の1960年から確か64年ぐらいまで放映されまして、実はあのー、私はその頃既に中学校、高校生くらいでしたかね、当時、やはりアメリカに憧れていた“男の子”でありまして、当然白黒のテレビ映画だったんですけれども、アメリカの自動車文化というものを目の当たりにして、それこそ目をまん丸にして放映の度に見ていたと、そういう記憶があります。

(J ):テレビ番組って、自動車の番組だったんですか?

(河):あのね、その「ルート66」というテレビ番組は主人公の青年二人がですね、シボレーの車をですね、当時の格好いい車に乗ってシカゴからロサンゼルスまで旅をする・・、今でいう車でのヒッチハイクみたいなもんで、途中の町に寄っては皿洗いをやってみたり、いろんなアルバイトをやって稼いだり・・、で、また次の都市へ行く・・、というような物語が「ルート66」なんです。

(東):で、この「ルート66」を実際に走っていらっしゃるのですか?

(河):そうですね、先程申し上げたように「ルート66」というのは、2,400マイル以上、約2,500マイルもあるものですから、実を言いますと私は全部はまだ走っておりません。

     ただ、8つの州、具体的にはですね、イリノイ州のシカゴから始まりまして、ミゾーリ州、カンサス州、オクラホマ州、テキサス州、ニューメキシコ州、アリゾナ州、そして最後にカリフォルニア州・サンタモニカと、こういうことで、大体カリフォルニア州の内部はですね、取材を兼ねて10回とは言わないけれど、でも一部の個所は10回以上、カリフォルニア全体はまだ数回ですが・・、それから後はですね、近いところでアリゾナ州、ニューメキシコ州くらいは殆ど走っております。ただ、遠いところはまだで、これから走ろうかと思っております。

(東):で、そうやって取材された事を、なんか、インターネットで発表されているとかお聞きしたのですが。

(河):ええ、実はですね、私どもに“ウエブ・マガジン”がありまして、ちょっと宣伝させていただきますと、“ウエブ・マガジン”で、「雑貨屋」というのがあります。

    「雑貨屋」と言ったって、別に本当に雑貨屋をやっているわけではなくてね、そう言う名前の“ウエブ・マガジン”で、これは見たければ、ヤフーの検索で「雑貨屋」と検索していただくと出てきます。そう言う「雑貨屋」みたいなところに書いたりして楽しんでいます。

(J ):検索の時は「雑貨屋」のスペルは日本語でいいんですか?

(河):検索するときはですね、ヤフー・ジャパンの中で、検索をしていただいて、漢字の「雑貨屋」、ひらがなの「ざっかや」、ローマ字の「ZAKKAYA」、いずれでも出てまいります。

    そして「南カリフォルニアからの便り」というようなタイトルで出ていますので、ぜひいちど時間があったら見てください。

(東):その「雑貨屋」に書かれた最新情報といったものはどんなものですか?

(河);「雑貨屋」の中にですね。私は2つ書いていましてですね、ひとつは「雑貨屋ウイークリー」というもので、(東;ウイークリーですか。すごいですね)ええ、週刊誌なんですね。その中で、いろいろ時にふれ、いろんなコメントを書いています。それは私だけではなく、我々仲間の皆さんが書いています。

     それ以外にですね、もうひとつ、今度は、これは私だけの担当欄がありまして、―― 私の名前が“河合”だもんですので、「河合さんの、あまり知られていないL.A.観光スポット」というタイトルのがあります。(J:ああ、これ、いいな!)既にもう60数カ所ですね。 

(東):へえ、すごいですね。

(河):一般にロサンゼルスというと、ディズニーランドとか、ユニバーサル・スタジオとか、それからナッツベリー・ファームとか・・、こんなところはですね、どこの日本語の観光案内書を見ても必ず載っています。

    ところが逆に、それ以外の所はですね、殆ど載っていなんですよね。ですからこちらに駐在されている日本人の方、こちらに住んでいる方、それから日本から来られる方でもロサンゼルスというのは、もうリピートで2度も3度もお見えになっているという方が多くなってきましたよねえ。

     そうなるとですね。毎回毎回ディズニーランドでもないので・・、そうすると「ロサンゼルスなんて観光するところはもうないね」という感じの方が多いのですが、とんでもない話で、楽しいところは沢山あります。そういうことでしてね、「あまり知られていないL.A.観光スポット」というタイトルで書いてますので、これも良かったらぜひ一度覗いていただいたら、また新しい場所を発見されるのではないかなと思います。

    (―― 以下、次号へ続く ――)  河合 将介 (skawai@wakao.com

さくらの独り言 「向かい合い」

七夕再会が常だった旧友Kとは、今年七夕より半年早い節分の季節に会うことができた。焼酎党の私が唯一鱶鰭酒を楽しむ時である。さくらの独り言にもよく登場するこのKと私は、男女の河を越えた素晴らしく素敵な関係である。彼と向かい合っている時の自分は、日頃のせわしさや煩わしさを忘れ、驚く程素直で可愛いい。そしてまた同様に彼も、日常の戦いから離れ、ロマンとチャレンジを率直に自然に語る自由人となる。人として互いに深い部分にふれあっている関係をとても幸せだと思う。私たちの再会がどの季節であれ素敵なのは、彼の奥さんでありまた私の親友でもあるSの深い理解に支えられているからである。

私たちの再会にはいつも、今それぞれが魅せられている書物や人、出来事やロマンを分かち合うものがある。今回彼は、半年前に私の為に購入したという一冊の本を用意して待っていてくれた。乾杯の前に渡されたその本は、「水からの伝言」(江本勝著/波動教育社発行)、1994年9月から1999年9月までに撮影された水の氷結結晶写真集であった。コメント付き写真集には、日本国内そして世界各地から取寄せた水の結晶や、音楽を聞かせたり、文字や言葉等を見せた水の結晶の変化や違い等、大変興味深い内容が詰め込まれていた。私がこの本に見せられてしまったことは言うまでもないが、多くの人にも是非推薦したい本のひとつである。

環境問題が叫ばれる中、地球上の水の現状把握が急務と言われている。しかし水が殆どを占めるという人間の体の誕生から死に至るまでがそうである様に、これ程科学が進歩した現在でも解明できない水の姿をこの本に見ることができる。水が凍って結晶になり温度が上がって水に戻る寸前の−5℃から0℃の一瞬の間に、どの氷も例外なく「水」という漢字に似た姿をみせてくれるそうである。昔の人がこの事実を知っていたかどうかかは別としても、これも科学では解明されない七不思議のひとつである。

この写真集を通して私たちに届けられる水からのメッセージは、自分自身を見つめること、自分に向かい合う様に人に向かい合い、関り、こだわり、相親しみ、そして相和すること、全ては『人に対する愛』『地球に対する愛』から始まるということだ。「水は心の鏡、人の心を写してみせる」と著者江本氏はいう。そして私は思う、向かい合う人も私の鏡、私の心を映し出す。向かい合う人、その人体の成分の80%は水である。どんな結晶をしているのか、それはその人と私の向かい合うあり方によると、私は思う。この本を読み、飲む前の水に「ありがとう」と話し掛けてみた、、、今日のさくらの独り言。

sakuratsubomi@earthlink.net)                                                              

川 柳 & コ ン ト (東京・成近)

( 川 柳 )

鬼は外ちっとも利かぬうちの豆

鬼もいて渡る世間が面白い

世渡りの心の隅に鬼も飼い

鬼になりきれず逆転負けをくい

凡々と鬼にも仏にも遠く

( コ ン ト )

「厚底靴の運転はダメ」

はいたらのるな のるならはくな −大阪府警

「旧正月(2月5日)」

あげましておめでとう 2000 −兜町

「日本の子ども しつけが最低」

塾で教えてくれないかしら  −パパ・ママ

(東京・成近) E-mail kawaiai@mx2.ttcn.ne.jp

 

健康の方程式

   幸せも健康も心が決める   西尾誠一郎

 私が昨年8月に知り合って、一生付き合っていこうと思う尚友(道を同じくする同士)

に奥村裕子という人がいます。 岐阜県で公文の指導者をしていて、98年中は毎月1回は日本のどこかで公文の指導者に講義をされていました。 

そのタイトルが「幸せは心が決める」。 

今回は何故かこの言葉が心に浮かんできたので、これについて書いてみます。

私は、白血病と診断された日も、長野の山奥で倒れた時も、自宅から救急車で緊急入院させられた日も、必ず健康になれると信じて疑いませんでした。 

元気になりつつある今だから、そう言えるんだよ と思われるかもしれませんが、白血病だと診断された次の日には、レイク・タホでの2泊3日の自主研究会に参加していました。

たった3家族6人の自主研会ですから参加を取りやめてもよかったのですが、その気はまったくありませんでした。 そこで私は木全さんという人の書いた「公文式の価値」について一生懸命自分の考えを述べていました。

病気になった年、私は計3回日本に行きました。 4月に大分県の赤峰農園へ、6月と9月には治療のため東京へ行きました。 次の年の4月、日本についてすぐ1泊2日の公文教室見学の後、動けなくなってしまいました。 お茶の水クリニックの森下敬一先生から

「自律神経の働きが極端に低下しているので、2週間ほど静養してからもう1度来なさい」と言われ、渋谷のQOL倶楽部から長野県の穂高養生園を紹介してもらい、そこで10日間静養したのです。

その時は、足と顔が異常なほど腫れ上がり、温泉に入るのに下着を脱ぐのも苦しく、床に座ってやっとのことで脱ぐ事ができるほどでした。 着いた初日に近くの神社へ散歩に行った帰り道、山道でどうにも苦しくて倒れてしまいました。 まあ倒れたというより、仰向けになって寝転がったという感じですが、そのまま長い間小川のせせらぎの音を聞いていました。

その後、宿で森の中に素敵な喫茶店があるという情報を聞き、今は下り坂でも5分と歩けないが、帰るまでには1時間かかってもその喫茶店に行けるようになろうと思いました。

そして1週間後、その喫茶店で紅茶を飲みながらお店のママさんと苦労話を楽しんでいました。

99年1月7日から5日間入院した時もそうでした。 その間の4日間はほとんど一睡もできないような、治療する側のペースで集中治療されましたが、「必ずよくなる、1月27日の甥の結婚披露宴には絶対出られるようになる」と思っていました。 そして心の中で何度も披露宴でのスピーチの内容を考えていたのです。 実際にはスピーチばかりか、

「仕事の歌」という歌も大声で歌い、オーガニックのワインも飲むことができたのでした

でもこんなこともありました。 養生園がとても気に入って、滞在の延長を願い出た私は園長からきっぱり断られてしまいました。 その理由は私の病気に対する自覚、注意が足りないからというのです。 こんな病気でありながら付き添いはいない、医者の検査した病状のデータも持っていない。 万一の時はどうするのかと叱られました。

私は自分のことを病人と思っていない呑気な極楽トンボでした。 1週間トイレに行っても大きい方が出なかったのですが、玄米ご飯をこんなにおいしく食べているのだから必ず出ると信じていました。 また、散歩する距離も少しずつ、少しずつ伸ばしていきました。

園を去る前日、妻がアメリカから迎えに来てくれました。 内心嬉しくてホッとしたのですが「ヤバイな。 アルコールが飲めなくなるぞ」とも思いました。

いずれにしろ、私は何故かくも楽天的で有り得たのか。 それは、私が「何故、病気になるのか」を勉強していたからです。 では何故病気になったのか。

それは何故病気になるのかを本当に正しく知っていなかったからです。 では今は正しく知っているかといいますと、この病気のお陰でずいぶん勉強をさせてもらいました。

幸せも健康も心が決めることがわかってきました。 でも、正しく知ることについてはまだほんの入り口にたどり着いたぐらいです。

私は今、生きているのが楽しくてしょうがないのです。 仕事をするのが楽しくてしょうがないのです。

wtkumon@flash.net

』 浦和市、中條 石

こんなのが友人より来ました。結構いいはなしです。

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次のような銀行があると、考えてみましょう。その銀行は、毎朝あなたの口座へ86,400ドルを振り込んでくれます。

同時に、その口座の残高は毎日ゼロになります。つまり、 86,400ドルの中で,あなたがその日に使い切らなかった 金額はすべて消されてしまいます。

あなただったらどうしますか。もちろん、毎日86,400ドル全額を引き出しますよね。

私たちは一人一人が同じような銀行を持っています。それは“時間”です。毎朝、あなたに86,400秒が与えられます。

 毎晩、あなたが上手く使い切らなかった“時間”は消されてしまいます。それは、翌日に繰り越されません。それは、貸し越しできません。毎日、あなたの為に新しい“口座”が 開かれます。そして、毎晩、その日の残りは燃やされてしまいます。

 もし、あなたがその日の“預金”を全て使い切らなければ、あなたはそれを失ったことになります。過去にさかのぼることはできません。あなたは今日与えられた“預金”のなかから“今”を生きないといけません。だから、与えられた“時間”に最大限の投資をしましょう。そして、そこから健康、幸せ、成功のために最大の物を引き出しましょう。

 時計の針は走り続けてます。今日という日に、最大限の物を作り出しましょう。

 1年の価値を理解するには、落第した学生に聞いてみるといいでしょう。 

 1ヶ月の価値を理解するには、未熟児を産んだ母親に聞いてみるといいでしょう。

 1週間の価値を理解するには、週間新聞の編集者に聞いてみるといいでしょう。

 1時間の価値を理解するには、待ち合わせをしている恋人たちに聞いてみるといいでしょう。

 1分の価値を理解するには、電車をちょうど乗り過ごした人に聞いてみるといいでしょう。

1秒の価値を理解するには、 たった今、事故を避けることができた人に聞いてみるといいでしょう。

10分の1の価値を理解するためには、 オリンピックで銀メダルに終わってしまった人に聞いてみるといいでしょう。

 だから、あなたの持っている一瞬一瞬を大切にしましょう。そして、あなたはその“時”を誰か特別な人と過ごしているのだから、十分に大切にしましょう。その人は、あなたの時間を使うのに十分ふさわしい人でしょうから。そして、時は誰も待ってくれないことを覚えましょう。

 “昨日”は、もう過ぎ去ってしまいました。“明日”は、まだわからないのです。

今日”は与えられたものです。だから、英語では“今”をプレゼント(=present)と言います。

 友だちはとても貴重な“宝石”です。それは、あなたに笑顔と、成功するための勇気を与えてくれます。それは、あなたのことを聞いて、あなたを誉めて、あなたへ心を開いてくれます。

 だから、あなたの友達に、どれほど彼らのことを心に留めているかを示しましょう。

 このメッセージを、あなたが友達だと思う人に送りまし ょう。 そして、もしこのメッセージが戻ってきたら、あなたは友達の輪を持っています。

一口コラム

「コント、読み違い??」

(その28)結 納 品 

 日本の結納品は地方によりかなり違うようですが、通常は“結納金、酒、昆布、するめ”などの品に“目録、熨斗、末広”を添えて贈ることにより、婚約を正式にする“儀式用品”と言えます。

 それぞれの品には、本来の呼び名を意識的に変え、慶事にふさわしい意味を“祝いことば”に託して用いるので、これは意図的“読み違い”と言えるかも知れません。例えば、

*長熨斗(ながのし):鮑(あわび)のし。

*末広(すえひろ):白扇。

*友白髪(ともしらが):麻。

*家内喜多留(やなぎだる):柳樽。

*勝男節(かつおぶし):鰹節。

*寿留女(するめ):鯣(するめ)。

*子生婦(こんぶ):昆布。

 ―― 羅府の庄助さん ――

編集後記

 ながいこと使いなれたEarthlink.netのメールアドレスですが、日本からアクセスするにはやはり不便なことが多いので日本のプロバイダーに入会して新しいメールアドレスに変えることにしました。雑貨屋のホームページもファイルの移し替えが完了次第、アドレスを変更します。もちろんそのときはお知らせします。それまでは従来どおりです。

雑貨屋のバックナンバーは下記でご覧いただけますのでどうぞ。

http://home.earthlink.net/~ronishi/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.195

雑貨屋 店主 大西良衛 zakkaya@news.email.ne.jp