Zakkaya Weekly No.184 Ryo Onishi 11/21/99 バックナンバー HOME
雑貨屋のひとり言
さあいよいよ雑貨屋の日本移転が秒読み段階に入ってきました。日本行きの片道チケットも入手しました。あとはゆっくりしたいところですが、まだアメリカ出国までにやることがたくさんあります。日本に着いてからも手続き等、いっぱいあるのでしばらくは落ち着かないでしょうね。
雑貨屋を発行するエネルギーだけは残しておきますのでご安心ください。
引越し荷物の発送を終えたら、サンクスギビングホリデーを利用してワイフと二人でサウスベイの思い出の場所を訪ねたり、ショッピングを楽しみたいと考えています。
次の号は日本からの発行です。日本からの便りをお送りしますのでお楽しみに。(R.O.)
『 いい年 いい夫婦 』
私は普段の生活では、カレンダーや日付はもっぱら西暦を使い、日本の年号は完全に忘れています。
それなのに都合の良い時にだけ日本の年号を持ち出すのも気がひけますが、今年は「平成の11年」であり、これは「平成のいい年」とも読めます。
西暦での今年は ‘99年(1999年)で9が重なる1900年代最後の年であり、どうしても世紀末や終末思想の似合う暗いイメージが先行してしまいます。それに加えて今年は所謂 “Y2K(コンピュータの2000年問題)”が格好のマイナス材料を提供し、いかにもハイテク現代にふさわしい妄想不安の世の中を作ってしまいました。
さらに私達日本人にとっては“9”という数字は「最後」というイメージだけでなく、“9”は「苦」に通じる忌数(いみかず)であり、ことさら悪いイメージを増幅させます。
今年も既に10ヶ月を過ぎてみれば、確かに暗く悲惨な出来事が目立ちました。日本もアメリカも、そして世界中が人災・天災ともども“終末的”事件多発の年と言えそうです。台湾、トルコにいたっては2度も大地震に襲われました。最近ではエジプト航空機の墜落事故があり、この航空機の便名が“990便”であってみれば、つい「また“9”が重なっている!」とも言いたくなります。
日本では「ミイラ化しても遺体(死体)ではなく生きている」という“定説”を堂々と主張する団体すら出現しているようです。(もしかして今年は“紀元前1999年”だったのかしら?)
私達は一旦マイナスの幻想に取り付かれると、すべての事象をその「マイナス要因」にこじつけてでも関連付け、自らを納得させようとする悪いクセがあるようです。
それならば、私達はまず自らを縛っている「マイナスの幻想」という束縛を解きはなすため、発想を根本的に変えてみては如何でしょうか。即ち「プラスの発想」に転換するのです。
今年を“9”が重なった「終末の年」と考えず、この際、残りの1ヶ月余りを日本の年号を使い「平成のいい年」と読み替え、攻めの発想で前向きに頑張ってみようという訳です。
先ずその手始めに身近な日付けから始めてみましょう。
「平成の11(いい)年11(いい)月11(いい)日」や、「11月13日(いい父さんの日)」は既に過ぎましたので、次は「11月22日(いい夫婦の日)」でゆきましょう。(未婚、単身者の方々にはゴメンナサイ。そういう人には「いい(11)事多く、いつも、ニコニコ(22)」なんてのはどうでしょう)
我らが「雑貨屋」店主は、自称“Torrance市で一番仲の良い夫婦”だそうです。夫妻でテラス付きのレストランへ行っても決して外のテラスには出ず、いつも建物内のテーブル席につくそうです。「だって、わたしたち中(仲)がいいの!」だってサ。(コンチクショウ!! ―― 筆者注)
さあ、皆さん、“Torrance市で一番仲の良い夫婦”のタイトルを「雑貨屋」店主夫妻から奪い取ろうではありませんか。もちろん「雑貨屋」店主夫妻の仲を裂くのではなく、彼らの上をゆくのです。(私達夫婦は Gardena市の在住で、Torrance市ではなくて残念です)
でも考えてみれば、我らが「雑貨屋」店主はさすが謙虚な人といえましょう。たかが“Torrance市で一番仲の良い夫婦”としかおっしゃらないのだから。“カリフォルニアで一番仲の良い夫婦”、“アメリカで一番仲の良い夫婦”、“世界で一番・・”、“宇宙で・・”と言わないところが立派です。
いつも“節度をわきまえた積極的・前向き発想”をしていると、“その想いは必ず現実のものになる”といわれます。だったら大いに“積極的・前向き発想”でおもいきり「いい年、いい月」をエンジョイしましょう。
そして11月だから 大いに意見を“ノーベンバ(述べんば)”ナンチャッテ....
(筆者注:“Torrance市で一番仲の良い夫婦”はあと1週間ほどで、日本へ帰任するので、自動的にこのタイトルは消滅します。ご本人達はどうやら次は、“日本で一番仲の良い夫婦”のタイトルを狙っているようです ―― がんばってネ!)
河合将介( skawai@wakao.com )
さくらの独り言 「二階堂 君」
「さくらさんは白いというよりはさくら色、ピンク色のお肌なんですね」っと、LAで工場を案内してくれたI氏に言われ、「そうなんですってね〜」と応えながら、今から20数年程前に銭湯で出会った男性「二階堂 君」を思い出した。その頃彼は未だ男の子、今は立派な社会人男性であろうと想いつつ、、、。
兄姉がそうであった様に高校から親元を離れて下宿生活をした私は、普通の日は自転車通学、有料になる寸前の水前寺公園の砂利道を、化学反応式を暗記しながら無料で通過したものだ。それでも凄い雨の日は市営バスとやらにお世話になって、各々の社会や学校で働いたり学んだりして活きる人々と肌を摺り合わせる満員バスの苦痛に耐えながら、渋々通学しなければならなかった。出会いは、自転車通学を断念せざるをえない憂鬱な雨の日の、そんな満員バスの中だった。「二階堂 剛 君」、彼は当時大学付属小学校2年生だった。
バスの姿を見るや否や停車場があたかも日本の代表であるがごとくして、傘を投げ出し道の真ん中に立ち、雨送る天に向かって両手を高く挙げ『我々を無視せず停止したまえ』と云わんばかりに合図した二階堂君。雨天によって乗客が増えた満員バスは、時折素通りするのが常だった。ある雨天の満員バスの中、彼は乗車するや否や「運転手さん、彼女は定期券を忘れたんですけど、、、いくら払えばいいのですか」と、自分の定期券と母親に持たされたであろう数少ない回数券を取り出しながら言い出した。定期券を忘れた同じ団地に住む後輩である女の子の弁護だったらしい。彼らは同じ大学付属小学校の児童だった。二階堂君の熱意に圧倒され計算しようとした運転手は即座に問い返した、「どこから乗ってきたの?」二階堂君は彼女に代わって元気よく即答した、「入口から」、、、.。私たち乗客はドッと笑った。その笑いは梅雨のうっとうしさも吹き飛ばす様な幸せ色と化した。二階堂君は何故乗客が笑ったのか理解できなかった。理解したとしても、それは彼にとって多分どうでもいい事だったに違いない。その日から私は二階堂君が大〜好きになり、あんなに嫌いだった雨が待ち遠しくさえ想われた程だった。後で聞いた話だが、乗車直前にその後輩は乗車口(入口)から降りてもいいのではと提案したらしいが、彼は「俺に任せろ」と言っきったたらしい。
そんな二階堂君とは、月に2度程裸の付合いをした。週末はシャワーのない女子高校生下宿人の私達は、週に2日は銭湯に通った。たまに銭湯で会う二階堂君はバスで会った彼とはちょっと違い、「お母ちゃん、見て見てこの人ってピンク色だよ。みんなと違う色、どこの人?外人?」と母親に甘え、二階堂君の母親から「外人じゃないのよ、外国人と言うのです」と言って正しい日本語を教えられていた。その会話後「外国人、外国人」と母親の訂正を繰り返し口ずさみながら記憶に努力する二階堂君のささやきが、タイル敷の女湯に響き渡った。それから銭湯で偶然会う彼からは、「アッ、あのピンクのお姉ちゃんがいる〜!」っと指をさされたものだった。当時17〜18歳の乙女心を温めていた私が黙っている訳がない!、ある日彼が湯船に独りで浸かっている時ソッ〜と近づき低音で言ってやった「二階堂君、二階堂君、実は私、ピンクパンサーというんだよ、知ってる?」っとね。彼は細〜い目をまん丸くし、まるでお化けでも見る様にして私の瞳を見つめた。私がピンクパンサーかどうかは別にして、彼にとって自分の名前を知られていた事が重大な驚きだったのだと想う、、、しかし、彼は今どうしているのだろう?、、、今時この時代にはとても出会えない程の頼もしい男だったな〜あっと、昔銭湯で裸の付合いをした男性を想う、、、久しぶりにワインを飲んで桜色のさくらの独り言。
Sakuratsubomi@earthlink.net川 柳 & コ ン ト (東京・成近)
( 川 柳 )
敵に塩送る余裕を付け込まれ
飽食の奢り行く手の桶狭間
利用した部下がもろ刃の剣になり
もうあとに引けぬ本能寺への道
敵よりも怖い見方の裏の顔
( コ ン ト )
「H2打ち上げ失敗」
バケツを使ったな −JCO
「21,000人削減」
会社からの電話が怖い −NTT社員
「変造五百円貨横行」
許せない −銭形平次
(東京・成近) E-mail kawaiai@mx2.ttcn.ne.jp
マキちゃんの健康のお話
−イマジンのお話し−
私達人間は、呼吸することによって、生きていますねぇ。
どんなにボーっとしてなーんにも考えていないときでも、絶えず呼吸をしています。
言い換えれば、呼吸の繋ぎ合わせによって生きる事ができている。
次の呼吸が出来ないとき、それはイコール、死んじゃうって事になる。
ところが、この呼吸、余り知られていない事が有ります。それはというと、実は息を吸うよりも、吐くほうが大事だって事。
殆どの人間が死ぬ瞬間、息を吸っているそうです。
赤ん坊は、生まれる時、オンギャァ〜っと息を吐き、泣きながら生まれてきます。
例えば、木を切るとき、息を吸いながら切る人はいない筈。
重いものを持つとき、気合いを入れるとき、「ィヨッ!」とか言って弾みを付けたり、「ヨイショーッ」とか言いながら綱引きしたり、息を吐く事で力を出す事ができます。
また、腹が立ったとき、大きなため息をすると少々落ち着きます。
「息」は「自」と「心」、すなわち、自分の心となるんですねぇ、これがっ。
大体が、イライラ、クヨクヨ、恨み、愚痴、心配、不平不満なんてーのを持っている人に、安定した、深い落ち着きのある呼吸が出来る訳が有りません。
発想の転換が出来ない人や、何事も決めつける癖のある人に多くお見受けしますねぇ。
心が変われば態度が変わる、態度が変われば行動が変わる、行動が変われば習慣が変わり、習慣が変われば人格も変わる、人格が変われば、最終的に運命も変わるのではないのでしょうか?
「心」、要するにイメージを持てない人は、行動を生んでいく事は難しいと思います。
「悩んでいる時は動けない、動いているときは悩めない。」という、流れている水は腐らないのと同様な言葉どうり、クヨクヨ、イライラしたから事態が良くなったっていう事、聞きませんよねぇ。
「どうなるか」と心配するより、「どうするか」の方に目を向けて最善を尽くす事が大切です。
人間、ポジティブに考えて、前向きに生きていけば、いかなる病気も逃げていきます。
待っているより、仕掛けていく事、何があってもポジティブに考えていく事によって、運命を切り開いて行けるのだ、っという事を先日の大西さんの送別会で思ってしまった蒔田でした。
今回は、健康のお話しとはあんまり関係無かったかナァ..。
makita@ginga.net一口コラム
「コント、読み違い??」
(その18)結 婚 疲 労 宴
**********************
「親しい友人、知人はあまり出席していなくて、親の見栄で招待したような人達ばかりが目立った結婚疲労宴でした・・」
**********************
確かにそんな結婚披露宴だったら「披露宴」ではなく、「疲労宴」といいたくなるでしょうね。
しいてもっと言えば、結婚「疲労厭」だったのではないでしょうか ―― ご苦労様でした。
―― 羅府の庄助さん ――
編集後記
アメリカで編集して発行するのはこの184号が最後になりました。次号からは日本からの発行になります。インターネットで便利ですね−。今後とも雑貨屋をごひいきにお願いします。
雑貨屋のバックナンバーは下記でご覧いただけますのでどうぞ。
http://home.earthlink.net/~ronishi/zwback.htmZakkaya Weekly No.184
雑貨屋 店主 大西良衛
ronishi@earthlink.net