Zakkaya Weekly
No.153 Ryo Onishi 4/18/99 バックナンバー ホームページ雑貨屋のひとり言
先週は雨が降って寒いくらいだったのに今週はもう夏が来たような陽気ですね。朝からプールは子供たちの歓声でにぎやかです。やっと南カリフォルニアらしくなったというところでしょうか?ゴルフをするのにいい季節になりました。でも私は花粉症でゴルフが終わると、くしゃみはでるわ、鼻水がでるわで、ティッシュペーパーが放せません。花粉症のこと、マキちゃんの健康の話で取上げてもらえたらいいなあと思っています。これ雑貨屋のひとり言です。 (R.O.)
マ ジ か よ ー !
目下、当地南カリフォルニア地域はガソリンの値段が急騰しています。ほんの1〜2ヶ月前までは1ガロン当たり$1.10〜$1.30台(セルフサービスの場合)だったのが、今、4月上旬現在では$1.55〜$1.75(同)と30%以上も値上がりしました。ところが全米平均では、相変わらず$1.10台なのだそうです。
先日友人からE-Mailを受信し、この事態に抗議して“Gas Out Day (ガソリン不買の日)運動”に参加しようという誘いを受けました。毎日の生活の必需品であるガソリンが不当に値上がりするのは問題であり、更にアメリカの他地域との格差はアンフェアーである、と言うわけです。
ガソリン供給者側にも当然、言い分がある筈でしょう。でも、そこは日本と違い、消費者運動の本場である当地のこと、こういう運動は当然のように発生し盛り上るようです。
日本も最近、消費者運動が少しずつ目立つようになり始めましたが、アメリカサイドから見る限りでは、まだまだではないでしょうか。
数日前、当地の日系新聞“Rafu Shimpo(羅府新報)”にカリフォルニア米の日本での小売価格に関する記事が載っていました。
ご承知のように当地のスーパー・マーケットで私達が買うカリフォルニア米は20ポンド(約9Kg)入りの袋で$8〜11(1$=\120として\960〜\1,320、売上税込み)即ち、1Kg=\107〜\147というところが標準的価格です。(特売日はもっと安く、$8〜11が$5〜7位になることもあります)
ところが、上記“Rafu Shimpo”によると、日本では輸入カリフォルニア米は5Kgで¥1,990、日本米が \3,150なのだそうです。(1Kg あたり\398および \630、換算レート同じ)
確かに日本米に比べればカリフォルニア米は4割近く安いようですが、それにしてもまだ高すぎます。
カリフォルニア米の日米の価格差は日本の輸入関税が大きな理由のようですが、この辺の値段が日本の農業を守るめの日本国政府として、ぎりぎりの線なのでしょうか。
日本では食料としての「お米」の地位が低下しているようですが、それでもまだ「主食」であり、生活必需品である事には変らない筈です。
その「お米」が日本でこんなに高価であって良いのか不思議です。私はこの辺にまだ日米の対消費者行政や消費者運動の差を感じざるを得ません。(尤もこの場合、円・ドル換算を為替市場のレートを使うからそうなるのであって、購買力平価によれば問題はないのでしょうけれど)ある人が言っていました「アメリカのことを『米国』と言うじゃあないか。だからアメリカこそ『お米』の国なんだ。そして日本は『ジャパン』なのだから、『パン』を主食にすればいいのさ」―― 日本の若者が米離れをするのがわかります。
平成の怪物、西武・松坂投手が4月7日、対・日本ハム戦でプロデビューし、見事初勝利を収めましたが、この試合で8回、相手チームの小笠原選手に2ラン・ホーマーを打たれたとき、彼はマウンド上で、思わず「マジかよー!」と声に出したそうです。
私も翌日の日本語テレビでその時のシーンを見ましたが、確かに彼の口はそう言っていたようです。不敵な笑顔と「マジかよー!」という言葉はいかにも18才の若者らしく、頼もしい限りです。
ドライブ好きの私としては、先ずは南カリフォルニアのガソリン高騰に対して叫びたい。ホント『マジかよー!』と。
河合 将介 (
skawai@wakao.com )さくらの独り言 「さくらの樹」
沖縄の1月から北海道の6月迄の日本横断「桜前線」も、最終地到着まであとひと月余り。例年よりひと足早めの旅だと聞く。ワシントンのさくらも今が満開、もうすぐ葉桜になるだろう。花の頃を過ぎた後のさくらは、大きな樹に美しく淡いピンクを秘め、「さくらの木」の素晴らしさを深めていく。そしてまた来春への準備をする、、、いよいよ樹の本番を迎える。
「春告げさくら」とはよく耳にする。春のさくらを求める人々は、西から東、南から北へと旅をする。しかし、花の頃を過ぎた「さくら」の魅了にひとたび取りつかれると、春は春の、夏は夏の、秋は秋の、そして冬は冬の「さくらの樹」を求めて旅をする。確かに上野や隅田川の「さくら」も春のうららで大したものだが、名もない山の山桜も忘れ難く、そこに住む人々にだけ告げられる「さくらの伝言」がある。緑も深い夏の頃、欅の影に身を隠し、しかし毅然とした凛々しいさくらも味がある。樹皮に身体を絡ませ耳を澄ますと、まるで満ち満ちる水の音が聞こえてきそう。葉を打つ雨の音を聴きながらそびえ立つ秋のさくらは、行き交う千年の時を語りかけ、時経る重みをかもし出す感慨深いものが在る。そして深々と降り積もる雪に埋もれた冬さくらは、瞑目の時を持ちつつ人々との再会を夢見ている様だ。雪桜は神秘的な静けさの中に「命」を感じさせ、「生きているという愛」を感じさせる。
染めをやっている友人が昔話してくれたことがある。淡い桃色を創る時、さくらの花ではなくて樹を使う。樹を湯がくと透明な水が美しい桃色に染まっていく、と。(遠い昔の事なので、技術的詳細は定かに覚えていないが概要はこんな事だった。)淡いピンクの花をつけるさくらは、その木全てに「花の色を秘」めるポーカーフェースで粋な樹木と云える。その「さくらの花」の美しさは、樹木から湧き出る「生の色」なのである。美しく清らかな淡い色、それは樹で創られる、「樹そのもの」の色なのだ。まるで人間とその人がかもしだす香りや魅力に似ている。
今春、私は、例年以上に日本の桜が恋しく、愛でたい焦燥に駆られた。それに気づいた数人の友人と母は、さくらの押し花、さくらの写真、さくらの本、果てはさくらもちの写真まで届けてくれた。私は毎日その押し花をそっと静かに愛でながら、樹齢500年や1000年と伝えられるさくらの生と四季を想い、さくらの小さな花びらの様な自分の人生を回想した。そして一人の旅人が出会うさくらの木「おさびし山のさくらの木」(文:宮内婦貴子、絵:奥田瑛二、あすなら出版)の絵本を読んで、「命の旅」を思いめぐらした。私たちは皆、旅人、それを観ている「さくらの樹
」、、、さくら。
マキちゃんの健康のお話 「病は気から」
皆さんは今迄に怒ったり、悲しんだり、恐れたりした事、どれくらい有りますか?
いちいち意識して数えている方はいないと思いますが、かなりの回数なのは確かな筈です。この、怒ったり、恐れたりする度、血液とリンパがみるみる悪化していくのです。
っという事で、今回は『血液』のお話し。
そもそも血液本来の姿というのは、弱アルカリ性でなければなりません。
弱アルカリ性の血液である限りは、ばい菌が入ってきても病には冒されないのだそう。
つまり、コレラのばい菌を鵜呑みにしようが、腸チフスのばい菌を飲もうが、血液がアルカリ性であれば、病にはかからない。っという事です。
その証明として、コッホという医学博士が、「心の強い人間はけっして伝染病には冒されない。」と、コレラ菌を丸呑みした事はあまりにも有名です。
気の弱い人は、ばい菌でない普通のバクテリアでも、患ってしまいます。
それはなぜか?血液が酸性化してしまうからなのですねーこれが。
もっと学問的に言うと、アジドージス(酸毒性)っという血液になってしまうそうです。ハイッ。
そうなると、何の原因もないのに風邪をひいたり、目が回ったり、頭が重かったり、食欲がなかったり、夜眠れなかったり、っていう体になっちゃう。
科学的にいうと、心がネガティブになると一番最初にでる現象は、循環器障害。
血液が循環する血管のなかに色々な変化が起こるから、血圧が高くなったり、反対に低くなったりしてしまいます。
しかも、あまり良くない血液が流れているから、結果、臓器障害も起きてきます。
俗に言われている「五臓六腑。」の働きが鈍ってしまうのです。
その臓器障害の中でも一番おっかないのは、肝臓障害です。
しょっちゅう神経過敏にして、おどおどしていれば、黙っていても肝臓の中の糖原質の分解が異常になり、糖分を摂らなくても自家製糖分が多くなり、どんなに食物を制限しても、精神面が安定していなければ、糖尿病は治りずらい。って事なのだそうです。
こうやって考えてみると、感覚や感情のショック、衝動を適当に制御しなければいけませんねぇー。
健康に関わらず、僕にも、これからの課題となりそうです。
皆さんも経験が一度位有ると思いますが、とてもショックな事が有ると気分が悪くなって吐きそうになりますが、これもその一種なのでしょうかねぇ。
そもそも体は全部繋がっている訳だから、心から健康でいなければなりませんね。
話しは変りますが、先月と今月、皆さんご存知の日本人情報誌である”LightHouse
“に広告を載せた所、非常にたくさんの反響をいただきました。月2回発行中、僕は月1回ずつでしたが、どれだけ多くの人が悩んでいらっしゃるのかが分かりました。
急に忙しくなってしまったので、戸惑っていますが、雑貨屋はなるべく休まず投稿していきたいと思っています。 ..っと言う事は、体が資本だから健康の為に雑貨屋のバックナンバーを読み直そーっと。
一口コラム:「逆転発想もまた楽し」 (その18)
国 語 辞 典
言葉の意味や読み方がわからない時、辞典(辞書、字引)で調べます。要するに辞典とは文字や言葉がわからず困った時に利用するものです。
そこで「逆転の発想」として、普段はわかりきっていると思っている日本語を辞典で調べてみたらどうなるかやってみました。
先ず私の手許にある国語辞典は次の4冊です。
(A)広辞苑(第二版)、(B)三省堂国語辞典(第二版)、(C)講談社国語辞典(新版)、(D)、角川新字源。
********************
(A) @人間の性別の一つで、女でない方。男子。男性。(以下略)
(B) @人間の生まれつきのはたらきとして、子供を生ませる力を持つ(ようになりうる)人。男子。男性。(以下略)
(C) @男性。男子。⇔ 女。(以下略)
(D) @おとこ。おのこ。⇔ 女。(以下略)
(A) @人間の性別の一つで、子を産み得る器官をそなえている方。女子。女性。婦人。(以下略)
(B) @人間の生まれつきのはたらきとして、子供を生む力を持つ(ようになりうる)人。(以下略)
(C) @女性。婦人。(以下略)
(D) @おんな(をんな)。め。⇔ 男。(以下略)
「男」・「女」の意味なんぞ国語辞典でわざわざ調べる人など先ずいないでしょうから、どうでもいいですが、上記4つの辞典だけからでも説明の仕方が違うのに気がつきます。
(A)と(B)は生殖機能の差で男・女を説明し、それなりに努力の後が見えますが、(C)と(D)は男・女を別の言い方(語彙の転換)しているに過ぎず、辞典の編者はこの辺で楽をしているようです。
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(A) @人の音声の意味をもっているもの。また、それを文字にあらわしたもの。言語。(以下略)
(B) @声や文字が一定の意味と結びつき、自分の考えや気持ちをあらわすための、また、相手のそれを理解するための、手段として使われるもの。言語。(以下略)
(C) @人間が思想・感情を音声や文字を使って表わすこと。言語。(以下略)
(D) なし
「ことば」を使って『ことば』の意味を説明するのって難しいものなんですね。
――― 羅府の庄助さん ―――
編集後記
先週のマキちゃんの酢の話しを読んで、早速、黒酢を買ってきて飲んでいます。
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Zakkaya Weekly No.153
雑貨屋 店主 大西良衛
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