Zakkaya Weekly
No.144 Ryo Onishi 2/13/99 バックナンバー ホームページ雑貨屋のひとり言
◆サウスベイで活躍されていた高島さんが、日本に帰られることになりました。数年前、彼からいただいた一冊の本のおかげで勉強するきっかけをつかむことができ大変感謝しています。高島ファミリーのご健康と、高島さんの日本でのビジネスがうまく行くことをお祈りしています。
◆金曜日の朝、最近めずらしく扁桃腺がはれて39℃以上の熱がでました。すぐに熱は下がるだろうと思っていたのですが、3日間も39℃前後の熱が続いています。もしかしたらこれがうわさのインフルエンザかなあと考えているんですが、ちゃんと食欲はあるし…でもこの高熱はこたえます。先週、インフルエンザに気をつけてと言った本人が、発熱してるんだから、どじな話です。幸い連休なので ゆっくり休めということだと考えています。それにしてもボケ-と寝ているのはつらいですね。
◆最近、サウスベイで知っている方の名前で来たEメールの添付ファイル(happy99.exe)を開けたら、ウィルスに侵されていて、コンピューターがだめになった方がいます。送り主に聞いてもそんなメールは送った覚えはないとのことです。悪質ないたずらです。みなさん注意してくださいね。私は今、ウィルスにやられていますが。(R.O.)
『国際感覚について − ある大学生との文通』
過日、ある日本の大学生から“世界で活躍するビジネスマンに必要なものは何か”というたいへんな難問をE-Mail で受けました。以下、彼からの質問メールに対する私の回答メールを記し読者の皆さんのご意見をうかがいたく思います。
普通、「 世界で活躍するビジネスマンに必要なもの 」 という質問をすると、多くの自称 「 国際通 」の人は 「 国際感覚を身に付ける事 」 と返事をします。そんな事は当たり前で、その 「 国際感覚 」 とは何かが問題なのでしょう。
国際感覚とは外国語に堪能になったり、外国の風俗・習慣・マナーに詳しくなる事ばかりではありません。こういう事も、もちろん重要ですが枝葉末節なことであり、もっと基本とすべきものがある筈です。
私流に敢えてその基本を言うなら、それは 「 自分を知る事、日本を知る事。そして自分が日本人であり、日本人としての ID を明確にする事 」 だと言えると思います。
私達は自分の事、日本の事をどれだけ良く理解しているでしょうか。
「 国際感覚 」 と言っても、これが 「 国際感覚である 」 と言った絶対的なものはない訳で、あくまでも何かと比較して初めて知り得るものです。その場合何と比較をするかと言うと、私達の場合は 日本 または 日本人としての自分と言う事ではないでしょうか。
日本も ナショナルの時代から インターナショナルの時代になっており、更に世界は トランスナショナル(ある意味のボーダレス)の時代に向かっています。
ナショナルとしての ID 無しに 何で インターナショナルになり得ましょうか。インターナショナルを しっかり確立しないで何でトランスナショナル に移行できましょうか。
日本から駐在員がアメリカへ赴任してきた時、自分の子弟の教育について日本語を中心にするか、英語を中心にするかという問題は、親にとって重大事です。
きちんとした方針と信念の下に決めるのであれば この場合、どちらにしても間違いはありませんが、よく 親によっては 折角アメリカに来たのだから 子供は アメリカの現地校に通わせれば、国際語である英語が出来、国際感覚が身について良いだろうと 安易に考える親がいます。
こんな安易な考え方で現地校に入れられた子供は気の毒です。(尤も、この場合、現地校とその先生にとってはもっと迷惑な話ですが・・)
この場合、その子は 国際人にもならなければ、多国籍人でもなく、ただの 無国籍人 にしかなりません。
私が会社を引退する前、日本の親会社より赴任する人から 「 3ヶ月後にアメリカへ赴任する事が急に決まりましたので、私は妻と2人であわてて英会話学校へ通っています 」 という挨拶状が届いたので、私は 「 今更 英会話の勉強をする暇があったら、もっと日本の事を勉強してきて下さい 」 と返事を出した事がありました。
一般的に言える事は、どうも日本人は自分の ID ( 自分と言うモノサシ)が曖昧で、客観的に他のものを測るのが苦手のようです。
日本人の持っているモノサシは伸縮自在で曖昧な 「 生ゴム 」 製ではないかとさえ思う事があります。(これはこれで 日本人のよいところなのですが)
でも、これから海外へ出る人にとっては、最も重要なのは海外へ出てから見聞き・経験する事をしっかりと見極められる自分の IDではないでしょうか。
極論を言えば 私はこれが 「 国際感覚を身につける 」 ということだと思っています。 そして その次にようやく個々の具体的な話が始まるのだと思います。
その具体的な話は また何時かお会いした時にいたしましう。
河合 将介 ( skawai@wakao.com )
さくらの独り言 「アラレ先生奮闘記シリーズ2」
みみずとおちんちん
「教育は共育」と最も体験し確信したのは、新任時代だった。こどもも、同僚や先輩も、そして父母(昔は父兄と言っていた)も、生まれたばかりの”ひよこ教師”を、”教師”に育ててくれた。時にそれは教材研究であり、法規であり、人生教育であり、性教育であり、新しく見聞きする事ばかりで、いつも自分の無知と愚かさを知らされたものだった。私は今も教師として教壇に立っていた日々を思い起こす度、大変恥ずかしく思うことの多さに驚く。
その電話は朝の職員会議中に鳴った。職員室前列中央に位置する教頭の机の電話機だった。「さくらせんせい、お電話です。」私は全職員の視線を浴びながら電話にでた。「はい、お電話代わりました、さくらです。」中断された会議は、そのまま続けられている様子だった。
「エッ? 歩けない?!、、、、はい、はい。」
「エッ? 歩けない程腫れて痛いって、何が?」
「エッ? アソコってどこが?」
「エッ? おちんち〜ん???」
「エッ? みみずに、、なんですって?!」と、言い終わった私は、耳はダンボ、目はゲゲゲの喜太郎親父に変身した職員室の雰囲気を鋭く感じ取った。しかし、私は相手も自分も何を言っているのか、どうしていいのか、皆目わからなくなり、電話を切って席へ戻った。頭はスパゲッティー、心臓は壊れたポンプ、そんな中での会議が終る頃には、その電話の主が来校していた。欠席届けを再度説明に来た母親の話によると、今朝になってこどもは急所が腫れて痛くて歩けないと言い出した。子供に色々聞いてみると、昨日学校から遊んで帰る途中、ミミズにおしっこをかけたらしいから、それが原因だと思うので一日休ませるということだった。未婚で女性の私には全く理解できない物語だった。私は直ぐに保健室へ行き、この事を説明すると、答は簡単だった。「さくらせんせい、きっとその子は、汚い手でおしっこをしたので、ばい菌がはいったのですよ」と笑いながら教えてくれた。学校の帰り、そのこどもを訪ねた。思ったより、元気だったが、私は「念の為病院に連れて行ったらどうですか」と言い残しておきましたが、何となく納得がいかず、私はとうとう恩師に電話をかけて説明を請うた。
恩師T:「そっちは最近雨が降ったかな?」
さくら:「エッ?!、雨は降りませんでした。先生、天候の事を話しているんじゃないんですよ、みみず、みみずですよ。みみずとおちんちん!」
恩師T:「わかっているよ。ふ〜ん、それは二つ考えられるねえ、一つは、手からばい菌が感染し尿道に炎症を起こしているか、または脱腸も考えられる。」
さくら:「みみずとの関係は?祟りの様なことを言ったのかな?」
恩師T:「いやいや、そうじゃない。昔の人は良くいったものだと思うねえ。ミミズは普通土の中にいるだろう? ミミズに小便をかけるということは、土いじりをし、その汚い手でおちんちんに触れたということだよ。だから昔の人が、『ミミズに小便をするとおちんちんが腫れる』と教えたのは、そういうことだ。昔の人は本当にいい教育の知恵を持っていたなあ。」私は深く感心する恩師の話をきいて、少し納得した。
それから月日は流れたが、私が婚約の為に帰国し、親戚への挨拶のため立ち寄った大坂空港のラーゲージエリアで、「さくらせんせい!、では、ありませんか?」と声をかけられ、困惑しながら応える私に「K、です、ミミズのKです、覚えていますか?」「エッ?あのハナ垂れ小僧の?」「そうです。」喜びと驚きで私の顔はくしゃくしゃだった。彼は大坂で板前の修行に入りもう7年になるといい、立派な体格と風格で逞しい青年になっていた。私の婚約祝いとして大きなお祝いをもらった気がした。空港の出口まで一緒に話をしながら歩いた。彼は私が教師を辞めてから3年後に脱腸の手術をしたと話してくれた。話に夢中になった私は外国人婚約者をどこかに置き忘れ、どっちが恋人なのか分からなくなってしまった程だった。いい再会をしたと思った。
私にも男の子が授かったら、「ミミズにおしっこをかけてはだめだよ」というつもりだ。彼の痛みとは程遠く、私にとって今も新鮮で愉快な一コマである。 さくら
健康のお話 「−あま〜い話しにゃ罠がある、お話し」 蒔田 龍人
さて、2月14日といえば、男性陣には、人によっては待ちに待った、又、人によっては全く無関係な聖バレンタインディでしたが、いかが御過ごしでしたか?
僕にとっては全く無関係どころか、義理も人情(?)もない悪の日であるので、今回はこの憎き聖バレンタインディに因んで、『糖分』のお話し。
皆さん、甘いものはお好きですか? 多分、”ノー”っと答えた方、お酒がお好きな方でしょう。
実は僕も甘いものはチョット苦手で(っという事は酒好き。)、お宅にお邪魔して、甘いものを頂いた時、どうやって苦手な事をお伝えしようか今でも悩んでおります。(あっ、そうだ!きっと、皆、僕が甘い物が苦手な事を知ってて、チョコを渡せないんだっ!..、ウン、きっとそうだ..、そうに違いない....悲しい..。)
さて、甘いものは勿論、皆さんもご存知の通り、お酒にも沢山含まれている『糖分』。
『糖分』って言っても、色々有りますが、これからお話しする『糖分』は、精製された白砂糖。
チョット怖い話しになりますが、現在の死亡率のトップの座を占めている心血管疾患の大きな要因として、『糖分』のとりすぎが有るって事、ご存知でしたか?
『糖分』のとり過ぎといえば、成人病のひとつである糖尿病が浮びますが、それも怖いが、こっちも怖い。
それでは、なぜ心血管疾患と『糖分』が関係するのか?といいますとー、
簡単にいえば、体内で『糖分』の代謝が行われ、第一段階として、等量のブドウ糖と果糖が生じます。
で、ブドウ糖はすぐ次の段階へ進み、体細胞にエネルギーを与える働きをします。
果糖はというと、肝臓でコレステロールに、くっついちゃう。
要するに、自分一人で燃焼する事が出来ない。(これって、人間社会でも時々こういう人、お見掛けしますネー。)
すなわち、果糖の方はコレステロールを増加させてしまう訳で、これはなんと、動物性脂肪よりも摂取量が多い、という事が疫学的研究によって立証されたそうです。
要するに、「コレステロールが気になって。」と、油分や肉類を控える以上に、たとえ糖尿病の心配が無くても『糖分』には気を使わなければいけないって事になり、心血管疾患は『糖分』のとりすぎを抑える事も、予防のひとつという結果になります。
参考までに、私たちが一日に必要とする蔗糖の量は、たった8gで良いそうなんですが、日本人の砂糖の摂取量は平均70g余、清涼飲料水や、ケーキ、お菓子を良く口にしている人達は、ナント100gを超えているそうで、普通に食事をしていても、約10倍弱も余計に『糖分』をとってしまっているのです。
しかし、日常生活の中で、タバコやアルコールと違い、「ヨシッ、今日から糖分とらないぞ!」って訳いきませんよねー。 どうしても現代では不可能。
だったら、極力、オヤツは甘いものじゃ無い物とか、コーヒー紅茶等の砂糖を控える、清涼飲料水も控えめに、というチョットした事の積み重ね位しか無いのでは..(だけど、それが容易ではないんだなーこれが。)
それで思い出しましたが、先日、地ビールを造ってみた方のお話しによると、ビールを造る過程で、砂糖を「イヤ〜、あれにはビックリした。」程、大量に使うらしいです..。(ビール党にはキツイ話し!)
最近の調査では、若者達の暴力行為にも『糖分』のとりすぎが関係するとの指摘があるそうです。
これはなぜかというと、すきっ腹に、甘いものや清涼飲料水等を入れると、急に血糖値が上がり、それを下げようと、膵臓からインシュリンが急激に出されて、出過ぎたインシュリンがイライラを、それと同時に、副腎からアドレナリンが分泌されて、興奮状態を引き起こすからなのだそうです。
人を興奮させるのは、辛いもの、ショッパイものだけじゃ無かったんですね。
「ちょっと疲れたから、甘いものが欲しい。」 なんてーのも、アドレナリンの分泌に関係しているのかも。
もし、甘いものを摂りたいのであれば、蜂蜜や、昔懐かし、黒砂糖なんかを使うのが、まだ良いのだそうです。(昔の子供は、オヤツがわりに黒砂糖を舐めてたって言いますよね。)
ところで男性の場合は、バレンタインディの様な特別な日とは関係なく、もし相手の女性を怒らせたら、ケーキかなんかの甘〜い物を差し出して、「ダマラッ..」、「ゴマカッ..」、エー、「ご機嫌を直していただく。」という年中行事がありますが、上の説でいくと、どっちが先なんでしょうねー。
女性の一部の方々は、甘いものをとりすぎて怒りやすくなったのか、怒りやすいから男性がご機嫌とりに甘いものを差し上げるようになったのか?
古いかもしれませんが、これ考えると、夜眠れなくなっちゃいますねー。
だけど、これを読んだ為に、女性が『糖分』を控える事になって、男性陣はもっと高く付いちゃったりして..。
一口コラム:「逆転発想もまた楽し」
(その9)欠点こそ最良の長所
【欠点: ふじゅうぶんで、おぎなわなければならない部分。短所。(三省堂、国語辞典)】
欠点のない人間はいません。なぜなら人間は神様ではないんだから。
欠点があるからこそ、人間が人間らしくいられるのでしょう。でも、同時に私達人間は自分の欠点を直し、少なくする努力を欠かしてはならないのも事実です。それが社会秩序と言うものであり人としての道でもあるからです。
私自身も 思えば欠点だらけであり、自分の至らぬ点を数え出したらきりがなく、欠点が衣服を纏っているようなものだと自己嫌悪に陥ったりする事もしばしばです。
では それらの欠点はどうすれば改善出来るのでしょう。最近、私もようやく次の事に気付きました。即ち、自分の欠点を直すには その欠点に反発し対立するのでなく、自分の中にあるその欠点を受け入れ、慈しみ、仲良くする事の方がよい結果になるらしいと言う事です。
年齢を重ねるに従って記憶力が減退してきます。物覚えが悪いということは通常、欠点になる訳ですが、この場合むきになって物忘れに反発せずに 記憶力減退は事実として素直に認め、その代わり何でもその都度、紙にメモする癖を付ける。計算に弱ければ計算機を有効に使う ―― これが 「仲良く」 と言う意味です。
最近、私の中の欠点が“Love me tender ( やさしく愛して )” と言っているのが私にも聞こえるようになりました。
彼ら ( 欠点 ) と仲良く出来たら次は彼らを見方に引き込むのです。 「 物忘れが多い 」 というネガティブ発想を 「 忘却力が充実した 」 と思うポジティブ発想にまで持って行きたいものです。
どうせ過去の記憶や思い出などはその大半がどうでもいい事か、出来たら忘れたい事で占められているのだし、人間の限られた記憶の容量に余裕を持たせるには古い記憶をどんどん捨てなければならないのですから。
「 必要は発明の母 」 であり、欠点があるから人間は進歩する。即ち 「 欠点こそ最大の長所 」 ではないでしょうか。
( 陰の声:上記、国語辞典には、「 欠点=短所 」 とあるじゃあないか。なんで 「 欠点が長所 」なんだよ。お前、国語辞典に逆らうつもりか? そんな事を言い出すところがお前の最大の欠点だ!)
――― 羅府の庄助さん ―――
編集後記
高熱でどうなるかと思いましたが、なんとか雑貨屋を発行できてうれしく思います。来週は日本に行きます。愛用のポータブルPCの調子が悪いので、日本からの発行ができるかどうかあやしいので、行く前に発行しようかと考えています。
http://home.earthlink.net/~ronishi/zwback.htm/Zakkaya Weekly No.144
雑貨屋 店主 大西良衛
ronishi@earthlink.net