Zakkaya Weekly No.125
Ryo Onishi 10/4/98 Index Homepage
雑貨屋のひとり言
◆先々週、トーランスホリデーインでオタフクソースさんによるお好み焼きの実演がありました。ホリデーインの日高さんにお誘いを受けてお昼休みにそのお好み焼きを食べに行きました。 その時、面白いアイデアを見つけましたのでご紹介します。お好み焼きにテンカス(天ぷらのカス)を入れるとおいしいんですが、簡単に手に入らないですねー。このテンカスの代わりに”かっぱえびせん”を細かく砕いて使うんです。なかなかいけますよ、これは。面白いアイデアだと思いました。みなさんも試されたらいかがでしょうか?
◆ある日、いつもより一時間早く起きて家を出ました。車だったのですが、いつも走っている時間と比べるとがらりと景色が違って見えました。
同じように、日頃 車でなにげなく走っているところを歩いてみたら、もっと違った発見があると思います。 これも試すと面白いかも。
◆ワイフがやっと今週、帰ってきます。空港で出迎えるとき、何て言おうかなと考えています。やっぱり、”お帰り”でしょうか。(R.O.)
安 心 距 離 は 54センチ
以前、日本経済新聞のコラム欄に 、「人(日本人)は見ず知らずの他人と一緒になった時、心に不安を感じ、その他人と一線を画す為、物理的に一定の距離まで離れようとする、そして色々な実態調査の結果、他人が接近した場合、不安にならない平均限界距離(安心距離)は54センチであると言う結果が出た。」 という記事がありました。
確かに自分のそばに 見ず知らずの他人が近づいて来たりすると 私達は無意識のうちに「身構える」 感情が働きます。(陰の声:ホントかね。オマエハ 女性が近づいてきたら喜ぶくせに・・。)
例えば、始発駅で空車状態の電車に乗る場合、乗客同志が仲間か知り合いでない限り、最初の乗客は先ず座席の端に座り、2番目の乗客は反対側の隅に席を占め、3番目・4番目・・ とそれぞれの乗客は 出来るだけ隣の人と距離を置くようにして座るのが普通でしょう。 空席さえ充分あれば互いが顔見知りでない二人が隣同志にぴったり座るということは、まず考えられません。
私はこの新聞コラムにあった 「安心距離」 に大変興味を抱きました。勿論この「54センチ」という「安心距離」は、単なる平均値でしょうし、実際 個々の状況毎に大きく変化するものでしょう。でも、この 「安心距離」 という発想は、意外と私達の日常に何かと関わりを持っているのではないかと思い当たります。改めてその「思い当たる関わり」 を思い付くまま、敢えて私の干乾びた脳みそから引っ張り出してみると次の通りです。
(1)、人間には元来 本能的に個人の「縄張り意識」があり、国家で言えば「領海水域」み たいなものがあるように思います。海に面した国家の場合、「自国に接する海は ○○カイリ までを領海とする」 と宣言するようなものです。これが 「安心距離」 という発想なのでしょう。日本人の場合、それが54センチとなるのでしょう。(こういう現象はなにも日本人に限らず、人間すべてに言えるのではないかと思いますが、私にはよくわかりません)
(2)、今年の5月、私は「気功」に関する講演会に出席し、講師の浦田紘司氏の話に大変感動しましたが、その時、浦田氏がおっしゃるには、人は誰でも自分の身体から『気』が発散しており、身体を取り囲んでいるのだそうです。私達は『人間』を考える時、人の目に見える肉体部分だけでなく、これを取り囲んでいる『気』をも含めて『人間』を捉えるをことが重要なのだそうです。
もしかしたらこの身体の周囲にある『気』の厚みがほゞ54センチなのではないでしょうか。54センチ以内にお互いが近付くと、見知らぬ他人だと『気』と『気』が反発し合い、逆に相手が親しい間柄の人だと両者は 引き合う(気が合う)ことになる、そんなふうに思います。(遠くから『気』を送る事も出来るのだそうですが、それは リモコン(遠隔操作)みたいなもので、相手の『気』自体がそこまで届いているのではないと思います。
「一杯のお酒は 互いの間隔を10センチ縮める」 という名言を以前 雑誌で読んだ事があります。それは、お酒を飲むと身体を取り囲む『気』の効力が弱まり、10センチ分ガードが緩んでくるのだと解釈するのはいかがでしょうか。
(3)、一昔前までは、お化粧はほゞ女性の専売特許でしたが、最近は男性も熱心に化粧をするようになりました。
ある人に言わせると、男性でも女性でもお化粧をする場合、配偶者または婚約者のいる人といない人では お化粧、特に化粧品の香りの強さが自然と違ってくるのだそうです。(尤も、これは結婚願望がある場合に限るそうですが)。前者は薄めの香り、後者は強めの香りの化粧品を無意識に選ぶそうです。思うにこの「強めの香り」と「薄目の香り」 の境界線は きっと54センチなのしょう。親密なパートナーなら 54センチ以内に近付ける訳ですから 香りを出す側は、54センチ以上の遠くへ香りを放出する必要はない訳です。また 特定の人がいない場合は、誰かを自分の 「縄張り内」 に引き込むため、 自分の香りを 「縄張りの外」まで放出し、相手の関心をそそる訳です。
お化粧をする時、(それが男性であっても女性であっても)私達日本人は 「香りの境界線」 が54センチであると言う事を無意識・本能的に認識し、対応しているなんて 面白い発想ですね。
河合 将介 ( skawai@wakao.com )
さくらの独り言 その3 「再会」
太鼓という単純な楽器に無限の可能性を見いだし、常に新しい音の想像を試みる集団、、、「鼓童」とは、、、人間の基本的なリズムである心臓の鼓動から音をとった名前であり、それは大太鼓の響きこそ人が母親の体内で聴いた最初の音、、、心臓の鼓動にほかならないという掲示からきており、そして童の様に何者にもとらわれることなく、ただただ無心に太鼓を叩いて生きていきたいという願いがこめられているそうである。
1981年、ベルリン芸術際でのデビュー以来、一年の3分の1を海外公演、3分の1を国内公演そして残り3分の1を本拠地佐渡で過ごし、1,500 回に及ぶ公演を28ヶ国で行っていたときく。
松崎達朗、九州出身、1986年度の第2期生として太鼓を専門に鼓童に入座、好きなものは夏の海、アメリカ制の大型トラック、苦手なものは注射と妻の涙とか、、。
初めて彼に会ったのは、彼がまだ高校生の頃、その当時高校の教師であった私は、恩師を通して彼に出会った。当時彼は藍色の学生服に身を纏い、鋭い洞察力と繊細な感覚を以てして人生というものを真剣に考えていた。進学高校在学であった当時の彼
は、自分の現状と、自らが求める人生の真意との狭間に立っていた。そしてついに彼は高校を辞め、佐渡島へと一人旅立ったのである。恩師も私も在学しろとは引き止めず、むしろ彼の決断を彼の母親と共にサポートした。
その彼が鼓童のメンバーとして初めて舞台に立ったのは、それから2〜3年後であったと思う。恩師と私は車で3時間位走った隣の県まで観に行ったのだったが、私は最前席でオイオイ泣きながら、私にとっての彼の初舞台を拝見した始末であった。
あれは1992年2月、カリフォルニアを封切りにスタートした彼のアメリカ演奏旅行の真っ只中、ここケンタッキー州で再会することになる。初めて会ったあの日から、そして初舞台を拝見してから、いったい何年の月日が経ったのか、私たちには数える時間もなかった、、、、。その頃私が重宝していた2合がやっと炊ける炊飯器をフル回転して、彼が寝食を共にする”童子”陣に、おにぎりをたんと作って会うことになったのだったが、彼から電話をもらった時、「ああ、これでよかったのだ。」という平安な気持ちになった。
3,000 席を埋めつくすその上演終了時、全ての観客は立ち上がり敬意と賛美で拍手し、その覆い被る巨大な米国人の拍手を私の頭の上で聞きながら、負けないほどに「達朗、、、、達朗、、、、」と、私は声の限ぎに叫んだ。会釈を終えた鼓童のメンバーが顔を上げる中、達朗はちゃんと私の声を聴き出し、私の眼をみながら手を振った。
初めて彼にあったあの頃、当時彼は鼓童の公演活動の有無に囚われず、ただただ単純に太鼓の無限の可能性に惹かれていた。それは鋭く、強く、熱く、そして深いものだった。あの年齢独特の迫力と魅力、そして広がる未来が湧き出ていた。ケンタッキーでの再会後互いに連絡が途絶え、そして私も各演奏会へ行く生活とはほど遠い毎日となった。彼がまだ”鼓童”に在座するかしないかさえ知らない今の私であるが、彼との次の再会を信じ、そして心から楽しみにしている。情報技術が発達した今、”鼓童”はホームページもあるだろうし、彼の消息を知る術もある。しかし、これは私のメロドラマ、、、彼との再会は彼が”鼓童”として舞台に立っていようがいまいが、私はいつも、彼が彼自身の人生のスポットライトの中にいる彼と再会するのである。
どんなシナリオか、どんな監督か、どんなバックグランドミュージックか、どんな裏方スタッフか、どんな観客か、等など、私は興味深々である。しかし一番興味があるのは、彼の瞳との再会。
私は今、衣更えをし始めた木々を見つめ、彼の瞳との再会を考えている。彼は鼓童を退座しても、自分の太鼓を一生叩き続ける奴である。だから会いたい奴である。私の人生の中で、こんな再会をただ待つというそんな自分が何となく幸せに思えて、嬉しくなってしまう。「私の太鼓はどんな音色なのかしら?」と、今私を通りすぎた秋風につぶやいた。
さくら
『面白い話』(中條 玉三郎)
一昨日、明治大学の落語研究会のOBの人と会いました。そこで聞いた話をここにお伝え致します。◆中華料理屋での話です。ある時、レストランに来たお客が、定番の北京ダックとフカヒレのスープをオーダーしたところここのシェフは、丁寧に出来ないと断ったそうです。そこで客は、冗談じゃねえよこんな物が作れなくて良く中華レストランがやっていけるもんだと言ったところ、「かも無くふかも無く」 やってきましたと返事したそうです。 ちゃんちゃん
◆お寺さんは、何とか山、何とか寺と云う事を知っていると思います。例えば金龍山浅草寺とか、東叡山寛永寺、比叡山延暦寺とか・・・・。これに似たようなもので、こんなのはどうでしょうか。肉屋さんソーセージ、奥さん大掃除、時計屋さん今何時、新婚さんモジモジ、クリントンさん赤っ恥」とか・・・・。 ちゃんちゃん
◆これは、先日鯵釣の帰りに車の中のラジオで聞いた話です。伊東四郎が中学生の頃修学旅行先で、ちんぴらまがいのおっさんが自分達中学生何人かに、「ねえそこに行く学生さん・・・・」裸の写真が一杯入っているんだけどそれも超肉感的なと云って大きな袋を見せられみんなで相談しお金を出し合って買ったそうです。部屋に戻りわくわくしながら皆で袋を開けたそうです。そしたら出てきたのは、お相撲さんの写真ばかりだったとか・・・。ちゃんちゃん
◆これもラジオで聞いた話です。ある会社で自分の会社のある女子社員の娘さんの事を皆で事ある毎に、リラちゃんがねえ、リラちゃんがねえと噂話をしてたそうです。此れを聞いた友人が、おまえの会社にそんなにかわいい娘がいるのかようと名前からのイメージで言ったそうです。そして、紹介してよといったので紹介をしたそうです。紹介された友人、リラちゃんと会ってから紹介した友人にこう言ったそうです。全然かわいくないぜ、まずい顔していたぜと・・・。その時の返事が良かったね。何て言ったかって。リラちゃんて言うのはニックネーム、正式にはゴ抜きのリラちゃんと云うべきだったと・・・・。何でも名前の由来は、顔から来ているとの事でした。
一口コラム:「日本語って何だろう?(その11)」
『いいよ、結構です』
私が日本のアメリカ現地法人に勤務していた時、私の秘書の女性から聞いた話です。彼女は日系二世で、普段は英語の生活ですが、日本からの出張者が来た時などは片言の日本語で応対などしていました。
彼女に言わせると、日本の親会社の某役員ほど扱いずらい人はいないのだそうです。私が見る目では、この某役員は決して威張らず相手を思いやる心を持った紳士であり、なぜ彼女にとって扱いずらい人なのか理解できませんでした。
彼女の言い分は次の通りでした。「あの方は、 『結構です』 か 『結構ですね』 が口癖なんです。私が 例えば『お茶はお飲みになりますか?』、『ケーキは?』、『車の手配は?』 等、何かを尋ねると、答えはいつも 『結構です』か『結構ですね』 なんですよね。 私には “YES” なのか“NO” なのかぜんぜんわかりません。」 −−− 言われてみれば、確かにまぎらわしいですよね。
そう言えば私の友人に 「いいよ」 が口癖の男がいて、何を聞いても一言、「いいよ」 だけしか言わないのがいました。 でも私には、今の「いいよ」 は OKを意味する「いいよ」で、今度の「いいよ」は 断る意味の「いいよ」だと言う事がいつもわかりました。なんで区別がつくかと言うと、その場の雰囲気、「いいよ」の発音や抑揚の付け方ほかで判断していたのでしょう。
日本語って言葉や単語一つでも、言い方によって正反対の意味になるのだから面白いですね。−−− こんなお話は如何でしたか。エッ?「いいよ、結構デス」? その 「いいよ」と「結構」 は どっちの「いいよ」で、どっちの「結構」?! ――― 羅府の庄助さん ―――
「 LA 東京会、落語の夕べ」申し込み締切りについて
先週号のこの欄でご案内した『 LA
東京会』発足記念の『落語の夕べ(10月10日)』については
多くの方からお申し込みいただきました。ありがとうございました。
お蔭様で当日の定員を上回る申し込みをいただきましたので、9月末日をもって締め切らせていただきました。お申し込みいただいた方々は当日(10月10日《土》)会場でお待ちいたします。
なお、10月10日(土)の「落語の会」は締め切りましたが、「
LA東京会」の申し込みは受付け中です(年会費:$36)。関心がある方は下記へお問い合わせ下さい。
・問い合わせ先:河合 将介【Tel. /Fax.:(310) 324-1622、 E-Mail: skawai@wakao.com 】
編集後記
今週の雑貨屋ウィークリーはとってもにぎやかです。記事の量が毎週バラツキますが、でもこれでいいんです。雑貨屋流ですから。なんのこっちゃ?
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Zakkaya Weekly No.125
雑貨屋店主 大西良衛 ronishi@earthlink.net